将来を考えるのはすごい苦手、見えないところがあるから。今を怒涛の勢いで生きる。将来やりたいっていうのはいろいろ手探りで考え中

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:内賀嶋

更新日:2018.08.06

宣告

岸田 本日のゲストは内賀嶋仁美さんです。(以下、うっちー)自己紹介からお願いします。

内賀嶋 はい。内賀嶋仁美です。がん種は原始神経外胚葉性腫瘍っていう聞きなれないPNETっていうんですけども、それが右の胸腔、右の胸のところにできました。闘病時期としては、2003年9月。小学校6年生の時ですね、約半年間入院して闘病してます。闘病時期から数えるともう14年目に入りました。

岸田 希少がんの中でもより希少な部類のがんになると思います。早速どうやってがんが発覚して、そしてどう宣告を受けたのか?といったところを語っていただきますでしょうか?

内賀嶋 右の肺の外にできて、結構もう腫瘍がおっきくなってたので痛みが脇腹辺りにあったていうのと、あとは息苦しさ。やっぱり肺を圧迫してるので、そういう息苦しさがあって、一応念のため近くの病院で診てもらおうかってなって。

岸田 それ小6のどれぐらい?

内賀嶋 小6の8月。夏ぐらいになって近くの整形外科でレントゲンを撮ったら、もう右の肺が真っ白になってて、なんだこれは?ってなって、そのままいくつか病院を紹介してもらって、最終的に腫瘍ですっていうので。小学校6年生で病気のことなどわかんないので、説明とか宣告とかその辺りは全部両親。私は周りの流れに身を任せながら、発覚して緊急入院。

岸田 結構きつかった?その時は。

内賀嶋 息苦しさがかなりあったのと痛かったんですけど、みんな周りは肉離れだと思ってずっと肉離れの薬塗ってて、しかもそれで治るんですよ痛みが。なぜか痛みが引いて、そのままにしてたら、もういよいよそれも痛み引かなくなって、

岸田 そのままにしてたってどんぐらい、そのまんまにしてたん?

内賀嶋 2週間ぐらい。急に結構症状が出て。そのまんますぐに入院。その日に入院してレントゲン撮ったりCT撮ったりとか、もう私はわけわかんないまんま(笑)。あっちこっち行って検査して。

岸田 けど最初は、肺のほうに影があったから。

内賀嶋 あったから、もう肺のほう、

岸田 どんな診断だったんすか?最初は?

内賀嶋 でも、それわかんないってなって最初は。まあまあでも右の肺に何か腫瘍があるだろうって。

岸田 もう最初っから腫瘍っていう判断やったの?

内賀嶋 まったく生検とかしてなくて、とにかく緊急入院してすぐ手術しようってなったので。たぶん右の肺に腫瘍があるっていうので、造影剤とかで写って、おそらくそうだとは思うんですけど。右の肺は真っ白で胸水もすごい、腫瘍からすごい出血があって、それがすごいたまってて、もう右の肺は真っ白になってて、まあがんもあるし息苦しいし、入院してその次の日には取りあえず水を抜かないといけないって水を抜いて、でもそれでも量が多すぎて抜けきれなくて、そのまんま手術っていう感じですね。

岸田 宣告を受ける時、先生からどう言われたんすか?その、がんですっていうこと言われた?

内賀嶋 私はボーっと。全然病気のこともよくわかってなくて。親が全部説明を聞いて。いろいろ手術とかが落ち着いてから父親にあらためて詳しい病気の話とかを聞かされたって感じですね。

岸田 お父様から病気の話聞かされた時にどう思いました?

内賀嶋 小学6年生ながら父がかなり詳しく右の肺に腫瘍ができてこれから抗がん剤とかの治療が入りますって話をしてくれました。がんっていう言葉は知ってて、え?がんなの?みたいな感じだったんですけど。まずがんは知ってるけど、がんの恐ろしさとか命にすごい関わるとか。手術もおっきい手術だったんですけど、そういう命の危険があったってとこまでは全然理解はしてないっていうか、小学6年生では死についてはわからなかった感じはありますね。ああ、病気なんだ。がんなんだ。ああ、これから長い治療が続くんだ、ぐらいの感じだったと思います。

岸田 じゃあ、がんイコール死っていう感じではなくて。

内賀嶋 そうっすね、そこまでの理解はなかったんかなと思います。そこまで身近じゃなかったので、自分にとってもやっぱり。

岸田 まあそうよね、来年からね、がん教育とか始まったりとかもするけれども、その時ないもんね。

内賀嶋 がんて言葉は知ってるけど、そんなに怖い病気かどうかまでは、まあなんか大変な病気なんだなぐらいしか知らなかったんですね。

治療

岸田 具体的に治療っていうのはどんなことしました?

内賀嶋 手術、化学療法、放射線療法、大量化学療法、っていう感じですね。

岸田 まず手術をしたんかな?

内賀嶋 入院して2日後には手術をして10時間の大手術で。開胸手術で縦のラインをまず切って、最初、肺にあると思ってたみたいで皆さん。肺にできたってなってたんです。前切って肺も一緒に取りましょうっていう手術の予定だったのが、開けてみると肺じゃない、ってなって。肺の外の胸壁のところに腫瘍があるってなったんです。途中親に「ちょっと手術の方法変えます」って。ガーッと切ってろっ骨開けて摘出手術。たぶん出血量も7リットルぐらいあって輸血もそれぐらいして。たぶん人間の血って大体4、5リットルぐらいなんですけど、血が入れ替わった状態。完全にもう違う人じゃないけど(笑)。出血量も多いし手術中に亡くなる可能性もあるっていうふうに親は言われてたみたいで、ドラマみたいに、「今峠を、一番危ない峠を越しました」みたいな説明があったみたいです。手術後腫瘍がちょっと残ってるので化学療法しました。顕微鏡レベルで見えないのが残ってるだろうからやっつけましょうみたいな感じでした。

岸田 手術終わってから、すぐこれは?

内賀嶋 すぐ。入院・手術して1週間はICUにずっといたので、それ終わって内科に移動してから化学療法、早速スタートする感じ5クールやりました。

岸田 化学療法だけじゃなかったよね?

内賀嶋 1か月ぐらい放射線療法も行って。この時小児のしかも肺のところにできる症例ってのがほとんどなくて、生存のそういうデータとかも全然なくて。

岸田 もう手探りでもあったって感じなんかな?

内賀嶋 ん、だったんですかね。抗がん剤でしんどいときも放射線行かなきゃいけなかったから、もう吐きながら放射線のとこに行くみたいな。

岸田 小学生ながら。

内賀嶋 超スパルタ。吐いて、もう無理、もう無理って言いながらも、駄目、行かなきゃ駄目みたいな感じで、

岸田 よく音上げんかったな?

内賀嶋 ねー。意地っ張りなんですかねー、強がりですかね。

岸田 化学療法やってから、また大量化学療法やったん?

内賀嶋 そう、最後に何倍もの量の化学療法を一気に投与する。一気にバァーッて入れて。そのかわり粘膜だとかいい細胞にもすごいダメージが強いので。

岸田 追い込みみたいな。

内賀嶋 追い込みみたいな。最後もう一掃するみたいな。

岸田 で、そっから。

内賀嶋 そっから自家造血幹細胞移植。大量化学療法、自分の細胞や骨髄とかにもすごいダメージがあるので、血を作る細胞っていうのを事前に採って保存しておいて、それをまた自分に戻す。

岸田 で、そこから、治療を受けて大量化学療法終わって、敗血症。

内賀嶋 感染症なんですけど、細菌ウイルスが体に蔓延してしまって。どうしてもやっぱり化学療法すると免疫がすごい落ちてしまうので、全身にウイルスがまわってる状態。40度以上の熱が上がって血圧も下がっていって、予断を許さない状態で。もともと腫瘍のほうは大体生存率は、ハーフ・ハーフって言われてたんですけど、敗血症の時はたぶんもっと低い状態で。いろんな手を尽くしていただいて「お薬とか使って手を尽くましたので、あとはもう彼女の気力次第です」みたいな話があったらしい。父の残してくれた記録によると、30分に1回はバイタルとか確認をして、「もうこれ以上ほんとに血圧が下がってしまったらもう助からない」っていうふうに言われてて。2回目に死にかけて、って感じ(苦笑)。

岸田 けど、当時朦朧としてるから、意識とかも全然やね。

内賀嶋 全然敗血症のことも知らないですし退院して初めて知ったっていう感じで。動脈にルートを入れてやってましたね。取るときもわめきながら私、もう注射こん時すっごい嫌いだったんで、もう無理、無理、無理、無理みたいな感じで。

岸田 大変な治療やってやんやな、ほんまに。

恋愛

岸田 最近の恋愛事情だったりだとか話していただきたいと思います。もちろん恋愛は多々あったと思うんですけど、がんっていうことは、カミングアウトどのタイミングでしました?ってか、してる?

内賀嶋 基本的に隠し事できないので。傷が見えるんですよ。だいぶ薄くなったんですけど、結構目立つんですよ。傷。すごい見えるのですごい嫌だったんで、しばらくは胸がつまった服着てたんですけど、これどうしたの?って言われることも多いし、自分自身もやっぱ隠し事できないし知ってもらいたいってのもあったんで、諸段階でカミングアウトてか、昔病気したんだよね、がんだった、がんで病気したんだよね。みたいな感じで、

岸田 反応普通?

内賀嶋 まあ、びっくりはしますね、「ああ、そうなんだ。へー」っていう感じはありましたね。

岸田 うーん、普通にじゃあ最初のうちからオープンにカミングアウトしてそこからお付き合いに発展していくわけじゃないですか?

内賀嶋 お付き合いに発展した後はカミングアウトしてますけど。

岸田 お付き合い発展する前は、カミングアウトは?

内賀嶋 前はあんまりしないかもしれないです。聞かれたら答えます。この傷どうしたのって。聞かれなかったら、特段そんなに言ってなかった。最近は結構こういうふうにしゃべるようになったんですけど、結構最近までは、あんまり言ってなかった。隠すこともないなとは思ってましたけど、特段自分からそんな言うことでもないかなっとも思ってました。

岸田 スタートしたところで言ってたっていったところで。結構どうなの?患者として、やっぱ見られたりとか、まあいろんなね、大量化学療法とかもしてるやん。お付き合い順調ですか?

内賀嶋 お付き合い順調(笑)。順調かっていったら全然順調じゃないんですけど。やっぱ大量化学療法してるのもあって、今卵巣の機能が低下してしまってずっと今もホルモン剤を飲んでるんですけど、妊孕性っていうところ、妊娠がやっぱり難しい。子供を作んのがすごい難しいって言われて。意外とこれで悩んだのって最近で。妊孕性がないっていうことに現実に直面して悩んだのって大学ぐらいからなんですよ。それまでは将来子供ができないって話も実はそんなにされてなかったというか、取りあえず月経が止まってしまったのでやっぱりこのままじゃ成長とかに関わるから薬でホルモン補充しましょうって話になって、もうずーっと薬を飲んでて、中高とかの間は薬飲んでて病人みたいでやだなーっていう感じだったのが、医療の大学に行ったときに、もう嫌でも小児がんの勉強とか後遺症の勉強とか妊孕性の勉強してると、嫌でも情報が入ってくる。これはもしかして私は、えー、妊娠できないのかな?ってなった時にもうずっともやもやしたまま、でもたぶん無理なんだろうな、無理なんだろうなって思って、どうしようっかな?もう恋愛も、やっぱ子供ができないんだったら恋愛も難しいというか、やっぱおっくうになるというか、相手にもすごい申し訳なくなるし、それこそ価値がないんじゃないかっていうかところでやっぱなかなか恋愛も踏み出せなかったりで。大学になって、ようやくここ1、2年ぐらい、もう聞こうと思って、主治医に。私は将来子供ってできないんですか?って聞いたら、まあいろんな検査を見ているとやっぱ難しい。これからもやっぱ難しいっていうふうに言われて、ゼロではないけれど、やっぱりもう数値的には難しいって言われて、ああ、もう、そうかってなって、もうそっから結構沈む。

岸田 沈むよねー。

内賀嶋 沈んで、今となっては、今でもまだ受け入れてないとこありますけど、もうその時はほんとにもうサッと真っ暗、もうお先真っ暗じゃないですけど、将来誰かと結婚して子供を作って幸せな家庭を作るっていう選択肢が自分にはないんだって思って。そこからもう街中見ても、嫌でも幸せな家庭って目に入るじゃないですか?ね?かわいい子供とか。そういうの見てるだけでもう涙が出てきたりとか。人って小さいときとかよく「なんのために生きるの?」って言われたら子孫残すためだよって言われてたのを、じゃあ子孫残せない私って、なんのために生きるの?って。

岸田 わかるわー、うん。

内賀嶋 女性としてそこを取られた時に少子化問題じゃないですけど、女性として社会にそこを貢献できない?私は生きてる価値がないんだってすごい思います。そういうのもあって恋愛してもやっぱり相手も子供ほしくなるでしょうし私も子供がほしくなるから申し訳ないし、それで恋愛、人を好きになるっていうのはちょっとおっくうになってたっていうか、ちょっと離してたっていうとこありますね。やっぱ恋愛は。こんな言い方するとあれなんですけど、よく、ね、「命助かったからいいじゃん」って言われるんです。確かに命助かったけど。なんかすっごい言い方悪いですけど、私が命助けてって言ったわけじゃないじゃないので難しいんすよ。命助けていただいてほんとに感謝してるんです。今はほんとに感謝してるんですけど、やっぱそういう、もうやりようのない、なんとも言えない言葉を、もう誰かにぶつけないとやってらんなかったりとか、ああ、将来生まれてくる子供の命を犠牲にして自分の命が助かったんだっていう考え、そうなると将来生まれてくるはずだったかもしれない、子供にすごい申し訳ないし、あー、なんかそれを奪って、私が生きてるんだっていう 気持ちにもすごいなったし。今でもちょっと落ち込んだ時そういう気持ちにもなりますけど、それを一生考えてもしょうがないし生きていくしかないし、ほんとに助けていただいた命だから。出産ていうかたちで社会に貢献できなくてもほかのかたちでやっぱ貢献しないといけないと思いますし、恋愛に関してもなかなか理解をしてもらうのは難しいと思うけれども、いろんな人と出会て理解してくれる人をとにかく探すっていうか、理解してくれる人を見つけていくしかないんだな。だからそれこそ自分の事情を言うタイミングってすっごい大事だなって。

岸田 そうね。うっちーがちゃんとね、自分の恋愛に向き合ったりとか妊孕性に向き合ってこうやってしゃべってもらうっていうことは。

内賀嶋 妊孕性って小児がん経験してる人って関わってる人すごい多いと思うし、たぶん受け入れるまでにすごい時間掛かると思うし、受け入れられるかはわかんないっすけど、最終的には。恋愛は全然あきらめてないっていうか、普通にしたいというか彼氏ほしいし結婚したいし孤独死したくないっていう思いで。私は出産はあきらめきれない未練はありますけど、出産はしょうがない。妊娠、出産はもうしょうがないけど、でも私は子育てはあきらめてない。ですね。里親とか特別養子縁組とかそういう制度もあるので、やっぱりそういうかたちで子供はほしいって思ってるし、子育てはすごいしたいって思うので。養子とかに理解してくれる人って難しいっすけど。

岸田 いや、いるいる。

内賀嶋 養子は養子ですごいたぶんいろんな課題を抱えてて、すごい難しいって。いっぱい調べたんですよ。それでも私は子育てしたいなっとは思ってます。

岸田 うーん。見つけてこう。

内賀嶋 見つけよう。

仕事

岸田 自己紹介の時もしていただきましたけど、なぜ看護の仕事しようと思ったんですか?

内賀嶋 やっぱりきっかけは自分の入院で。今は保健師っていう仕事なんですけど。もともと看護師をやろうと思って看護の道を進んでいました。入院してる時にほんとに治療がつらくてしんどいし痛いし、もうホントにつらかったんですけど、それでも乗り越えたっていうのと、退院する時いい記憶も結構あって、ちょっと退院するのがなんか寂しいなっていうぐらいの気持ちだったんです。それってやっぱりドクターの方や看護師の方の関わりっていうところで、もうすごい優しかったりとかつらい時も寄り添ってくれたし、すごい当たり散らかした時もあったり、愚痴も聞いてくれて、そういう関りがあったってのがすごい大きかったんです。看護師さんに片っ端から、「私のこんなつらい気持ちわかる?」って、めっちゃ聞いてましたもん。「わかんないでしょ?」みたいな、すっごいそんな時期がありました。「おっきい病気なったことあるんですか?」みたいな。めっちゃ生意気ですけどね。そんな時期もあったけど、真摯に寄り添ってくれてそういう関りがあったんで。どうしても亡くなってしまう子もいましたし、助かる子もいますけど。自分も小児がんとか病気で闘ってる子にそういう関りがしたいっていうふうに思ったのが半分。あと半分は使命感ですよね。入院して看護師さんとかに助けてもらった分、自分が恩返しをしないといけないから。看護師とか医療職にならなきゃいけないっていうのも半分ぐらいありました。

岸田 うーん。

内賀嶋 親からもやっぱり返さなきゃいけないんだぞ。恩を返さないといけないから医療の仕事につきなさい、みたいなところもあったんで。そこからブレずに、やりたいって気持ちももちろんあったので、そんまんま看護を目指してずっとやってました。今は会社の健康管理室っていうところで、保健師、これも看護職なんですけど、保健師っていう仕事しています。会社の保健室の先生みたいな感じです。

岸田 ふーん、じゃあ会社でちょっと気分悪くなったら、優しく看護してくれる。

内賀嶋 そういうのもありますし、健康づくり、予防医学ですね。従業員さんが病気にならないように。従業員さんの体調管理をしたりするお仕事ですね。健康づくりのイベントを開いたりとか、従業員さんに健康って大事なんだよっていうのを伝える仕事です。小児科の看護師も考えたんですけど、病気ってならないに越したことないじゃないですか。治療もつらいし病気にならないほうがいいので。健康の大事さを伝えるっていう予防医学っていうところに興味を持って、従業員さんに、「病気したらつらいんですよ」っていうのを自分の経験を基に伝えたいというのがあってその仕事にしました。でもなかなか従業員さんは、ずっと気付いてくれないっていう。

岸田 難しいね。

内賀嶋 そう、難しいんです。

岸田 ここに関しては、まあね。効果的な方法があったらいいけど、もう地道に伝えていくしか。

内賀嶋 もう俺はいいんだ。もう酒を飲んで、タバコ吸って、太く短く生きればそれでいいんだ。って言うんですけど、そんな簡単には死なしてくれませんよっとか言いながら、いろいろ試行錯誤でやってます。

今、闘病中のあなたへ

内賀嶋 「闘ってる自分、そして乗り越えた自分に胸を張る!」です。

岸田 ありがとうございます。これの意図。

内賀嶋 意図。私もそうだったんですけど、病気になった自分にすごい劣等感あったり、今も妊孕性がない自分に劣等感があったりとか、すごいマイナスにたぶんみんななると思うんですよ。元気になりたいとか、健康になりたいって、すっごい誰よりも思ってると思って、でも自分をすごい悲観的に見たり卑屈になったりとかすると思うんですよ。私もそうだし、今もそうなんですけど、でもやっぱりそういうほんとにつらい経験、それこそね、死線をさまようような死にかけてる状態から、こうやって乗り越えて生きてる。今たぶん実際闘ってる人もいると思うんで、そういう闘ってる自分に対しては、胸を張ってどや顔してもらいたいですし、乗り越えた自分に対しても胸を張ってほしいっていう。他人になかなかそういう経験できない。そんじゃそこらの同世代よりは、なかなか修羅場くぐってきてんぜ。っていう。やっぱりそこはあえてプラスに、乗り越えた自分を褒めてほしいし、胸を張って自分はこうやって乗り越えて大変な目をしたけども、ここに生きてちゃんと前を向いて頑張ってるぜ、っていうふうに胸を張ってほしいなって思って書きました。

岸田 今、闘病中の人たちもちゃんと乗り越えて胸を張って。

内賀嶋 今闘ってることもすごいことだと思うんですよ。ほんとに言い方あれですけど、へらへら遊んでる人よりは、闘ってる人ってほんとにすごいと思うんで、自分に対しても褒めてあげてほしいし自分は頑張ってるっていうのは自分の中で認めてあげるっていうの大事なのかなって思います。

※本ページは、あくまで経験者の情報を扱っております。そのため、あくまでその方のケースはそうだったということを念頭においてください。そのため、医療情報に関しては主治医や、行きつけの病院、またはしっかり科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

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