がんになったからこそ得られたものっていうのを考え始めたら、すごい心も軽くなってきたので、失ったものよりも得たもののほうに視点を向けていけたらいいんじゃないかなって。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:加茂

更新日:2018.05.13

 

岸田 今日はあかりちゃんをゲストに迎えております。自己紹介よろしくお願いいたします。

加茂 加茂あかりです。がん種は肝未分化胎児性肉腫というもので、軟部腫瘍になります。2016年の18歳のとき、5月から闘病していて、治療が終わって、現在は経過観察中の20歳です。予備校生です。

岸田 まだ若いっすね。20歳。ではまず、肝未分化胎児性肉腫ってどんなの?

加茂 小児がんの肝がんの中に、たまにあるよみたいな感じで記述されてるくらいで、本当に情報って無いので、日本語とか英語とかの論文読んで、レアなんだなみたいな。

岸田 なんで肝未分化胎児性肉腫が分かったのかを語っていただいてもいいでしょうか。

【発覚・治療 】

加茂 まず、2016年の初め頃、当時高校3年生で受験生だったんですけど、その頃から食欲が落ち始めたり、微熱が出たり下がったりするようになって。ストレスとか受験勉強の疲れかなみたいな感じで思ってて、放っておいたんです。受験はあんまり結果が良く出なかったので浪人を決めて、4月から浪人生で予備校に通い始めるんですけど、5月のある日に、体調が良くなくて、風邪だろうと耳鼻科に行った帰りに、左肩がすごい痛くなってきて。次に急激におなかが痛くなって。すごい激痛だったから今度は別のクリニックに行ったら、血液検査でCRPっていう炎症値の値が高くて、大きな病院を紹介しますって言われて、そのままタクシーで市民病院に行って診察を受けます。でも、抗生剤で「様子見をしよう」って言われて、しばらくたってもまだ痛いようだったらもう一回来院してくださいということで。1週間たっても若干痛いし、原因が分かんないのも気になるから、市民病院に行ったら、「まだ痛いならCTを撮りましょう」って、そこで初めてCT検査をするんです。そしたら…先生に「今日はこのまま入院してもらいます」と。想定外でした。しかも、「肝臓に病変がある」って言われて。何かしらの塊が二つありますと。

岸田 肝臓に?

加茂 うん。雪だるまみたいな感じ。そのうちの一方から出血が見られますと。これはすぐに止めなきゃいけないから「今から肝動脈塞栓術っていうカテーテル治療をします」って言われて、訳分かんないまま、すぐに処置室に連れて行かれて、尿道カテーテル入れられ。超痛いんですよ。「足開いてください」って言われて、尿道カテーテルと点滴も初めてで、ほぼ同時にやられたから、目の前サーッて真っ暗になっちゃって、立ってらんなくなって。

岸田 拷問や。

加茂 その後、足の付け根の所からカテーテル入れられて、局所麻酔して。それで血を止めまして。それで、その日はそのまま入院で。足の付け根からカテーテル入れたんで、その後、「12時間足を曲げちゃいけません」って言われて。寝てるときとか絶対曲げるじゃないですか。だから、結局ベッドに足を縛り付けられました。ロープで右足。

岸田 まじか。右足だけ?

加茂 そう。縛り付けられて。だから、立ち上がれないから尿道カテーテルも入れられたんですけど。

岸田 そういうことね。

加茂 最初は全然がんとかじゃなくて肝嚢胞の疑いっていう診断で。肝臓の所に液体がたまっちゃうみたいなやつで。入院して、取りあえず抗生剤の点滴入れて、検査をいっぱいするわけですね。MRIとかCTとかしたら、検査の結果が出ましたと先生が来て。結論から言うと「これは腫瘍状のものです」って言われて。

岸田 そのときに初めて腫瘍っていうことを言われるんですね。

加茂 そう。「これは手術をしなきゃいけないです」って言われて。出血があったっていうのと、場所的にも採ってこれない場所なので生研ができず、「取りあえずおなかを開きます」って言われたんです。、良性であっても取りあえず取らなきゃいけないことは確かで。

岸田 取りあえず取りましょうと。

加茂 手術なんて全然そんなつもり一切無かったからびっくりって感じですよね。おなか切るっていうのはすごいショックで。まだ18歳だし、ビキニとかもまだ着たいなっていうのあったんで。開腹しますって言われて、手術が決定して。手術で、腫瘍と肝臓を一部切除しました。

岸田 手術は結構長かった?

加茂 7時間くらい。傷も15センチくらいですかね。みぞおちからおへそぐらいまで、ばっさり切って。全身麻酔から目覚めた後にパニックになっちゃって。めちゃめちゃ痛くて、薬をくれだのわめいて。ドレーンとか管みたいなのも入ってて、とにかくいろいろ痛いし、嫌だし、動けないし。なのに次の日朝起きて、「じゃあ歩きましょう」とか言われて。立ち上がるだけで大変なのに、歩かされ。手術してから10日ぐらいで退院しましたね。採ったものは手術の後に病理の検査に回すので、後日外来に来てくださいということで退院します。

岸田 1週間後ぐらいに外来で行きますと。そしたら?

加茂 先生たちは手術する前、年も18歳だし、確率的に言って「悪性の可能性は低いですよ」って励ます意味でもずっと言ってくれてたんで、軽い気持ちで外来に向かうんですよ。そしたら、先生に「採ったものなんですけど、病理検査の結果、滑膜肉腫というものです」と言われたんです。大変希少な腫瘍で「僕自身も診たことは無いです」って言われて。「分からないので、ちゃんと専門の病院で診ていただいたほうがいいと思います」って言われて、国立がんセンターを紹介されて。

岸田 国立がん研究センター中央病院を紹介されると。滑膜肉腫って言われたときには、悪性の腫瘍ですみたいな話は?

加茂 言われるんですけど、なんせがんに対する知識が本当に無いので。だから、肉腫ががんなのかっていうとこが分からなくて。でも、国立がんセンター行くからがんだよね?みたいなことをお母さんと話して。

岸田 がんセンターに行くから、がんだろうと。

加茂 ネットで検索するんですよ、肉腫とか。これはがんっぽいぞということで、自分ががんだと悟るわけです。

岸田 そのときどうでした?結構ショックでした?

加茂 全然ショックみたいな感情無くて、とにかく戸惑いが大きすぎて、訳が分かんない。この状況に対応しきれなくて、意味が分かんないですね。滑膜肉腫なんて訳が分かんない病名言われて。

岸田 ずっと戸惑いしかなかった。なんやろうってなるわな、確かにな。じゃあ、国立がん研究センターに来た後はどうなっていくんでしょうか。

加茂 その手術のときに切ったものがプレパラートになってるんですけど、市民病院では多分滑膜肉腫っぽいけど、それ以上はもっと詳しい検査をしないとちゃんとした病名は出ないから、調べてもらってっていうことで、がんセンターにプレパラート持参して、調べてもらった。後日外来で、調べてみたら、肝未分化胎児性肉腫というものでしたと。

岸田 病名がちょっと変わった?

加茂 近い部類ではあるらしいんですけど。もっと難しくなったと思って。一生懸命滑膜肉腫って名前を覚えたのに、また変わるって。最初聞き返しましたよね。うん?もう一回言ってくださいって。

岸田 そこからどうしていくことになったんですか。

加茂 一応手術をして、今の段階ではがん自体は目に見えるものは無いんですけど、術後の抗がん剤をやるかどうかを先生方で話し合って、最初はやろうかなってなってたんですけど、やっぱり抗がん剤も無害じゃないから、再発が予防できるかもしれないし、もしかしたら害を与えるだけかもしれない。そこのバランスを考えた結果、私たちの病院ではやらないほうがいいんじゃないかとなりましたと。もし、セカンドオピニオンとかで行きたいんだったら、紹介するからって。

岸田 いい先生。

加茂 自分からやりたいっていう感じではないですし、手術して取っちゃって今は無いわけですし。だから、やらないということで一回経過観察入ります。それが8月です。しかし、9月に入った頃から食欲が落ちてきます。体調が悪くなってきます。9月の後半にCT検査をするんですよ。10月の外来で局所再発が発覚します。速攻です。2カ月で再発が発覚しました。

岸田 そのときはどんな気持ちでしたか。

加茂 やっぱりなって。

岸田 自分の中でも、体調悪かったときにちょっとだけ覚悟してたの?

加茂 本当にご飯も食べれなくて、自覚症状ばりばりあったので。再発したんだろうなって感じで外来には行ったので、再発って言われて、やっぱりなっていう気持ちでした。

岸田 そこから治療はどうなるんですか。

加茂 10月再発して、局所再発で転移はしてなかったんですけど、最初の手術のときに、腫瘍が横隔膜に若干接し気味だったらしく。でも、そのとき広範囲切除じゃなくてぎりぎりを切ったので。そしたら今度、横隔膜直下から再発しちゃって。多分ちょっと残っちゃったのかな。再発が分かった時点で主治医に「手術できません」って言われて。もう進行しすぎて。大きすぎて。

岸田 2カ月でそんなに大きくなった?

加茂 そうなんですよ。2カ月で15センチくらいに。おなかもその頃には左側だけぽっこりしてて。もう見た目で分かるんですよ、これががんだって。術前の抗がん剤治療をして、腫瘍をちっちゃくしてから手術を目指しましょうっていう話になり。AI療法(アドリアマイシンとイホマイドの2種の抗がん剤) 6クールやりました。1週間入院治療で、2週間家に帰ってお休みっていうスケジュールでやったんですけど、早々にトラブルが起きるんですよ。

岸田 なんすか、トラブルって。

加茂 再発聞いてから1週間後ぐらいに入院したんですけど、入院するまでの間にも大きくなったのか、入院するときには食欲無いどころか吐き気がすごくて、常に気持ち悪いみたいな。ごはんも全然食べれなくて。鎖骨下にCVポート作って、そこから栄養も入れて、抗がん剤も始めるんですけど、抗がん剤初めて3日目の朝、倒れまして。

岸田 まじで?

加茂 確かエレベーターホールの所で倒れたんですけど、やばいと思った次の瞬間には意識無くて。次、目覚めたら、処置室で酸素マスク着けられて、見渡す限り医療者がいて。自分では訳分かんないんですよね。意識朦朧としてたんですけど、その後すぐに、CT撮ったり胃カメラ行かされたりして、終わった後に先生が説明に来たんですけど、腫瘍が大きくなりすぎてて、胃を外側から圧迫してて、胃の内側の粘膜から出血して、それで倒れたらしくて。結構何カ所からも出血してて、その日は胃カメラの処置と輸血で乗り切りつつあったんですけど、「次そういうことが起こったらどうしようもないです」って言われて。「死にます」って言われて。本当に言われて。

岸田 同じようなことが起こったら。

加茂 衝撃ですよ。先生に、「次起きたら死にます」と、「心臓マッサージと人工呼吸器はしないけどいいですね」と。「いいですか?」じゃなくて「いいですね」と言われて。

岸田 すごいな。いいわけ無いやろとか思わへん?

加茂 でも「どうしょうもない」って言われて。腫瘍由来の出血だったんで、「腫瘍を取り除かないとどうもできないから」って言って、お父さんがいいですってサインする。未成年だったから、自分でサインができないんですよ。自分の心臓マッサージと人工呼吸しませんっていう書類に、自分の命のことなのにお父さんがサインするのかと思って。自分でいけるのにって思って。

岸田 確かにね。もうなんか、何とも言えない気分になりますよね。

加茂 抗がん剤治療も1クール目の途中だったんですけど、そういう状態なので中断しますってなって。刺激でまた出血したら怖いしってことで中止。でも、そういう状況だったので、退院はさせられませんと。出血もした後だったので、その後はしばらくモニタリングされて、立ち上がるとき、トイレでさえも「看護師を呼んでください」って言われて。歯磨きしてるときに心拍数上がって、看護師がすっ飛んできたりして。それからその間は、胃からの出血だったので、胃に刺激を与えちゃいけないからっていって絶飲食で。飲めず食えず、1~2週間は。地獄でしたね。

岸田 絶飲食でしばらくいて。じゃあ、そこからはちゃんと?

加茂 抗がん剤はできました。そのまま2クール目やって、結局最初の入院から1カ月後ぐらいに2クール目終わって退院するんですけど、やっぱりご飯が食べれなかったので、ずっとエネルギー輸液を入れてたんですけど、家に帰るときに、「家でも点滴してください」って言われて、他の人は大体母親がポートの針の抜き差しとか点滴とかしてくれるらしいんですけど、私は「自分でやる」って言って。

岸田 なかなか珍しいっすね。

加茂 らしいですね。なかなかいないって言ってましたね。なので、入院中に自分でここに針刺して抜いたりとか、点滴の管理の仕方とかをちょっとお勉強して、おうちに持って帰って、2クール目と3クール目の間、ずっと点滴家でするんですけど、毎日1本ずつ。自分で抜き差ししてました。

岸田 頑張るね。痛い?痛くはない?

加茂 ちょっと痛いんですけど、やっぱり必要なのは技術じゃなくて勇気。意外と看護師さんに刺されるより、自分で刺すほうが痛くないんですよ。

岸田 らしいです。名言、技術じゃなくて勇気っていうのね。多分ですけど、稀有な存在だと思います。

加茂 抗がん剤は順調にいって、6クール終わりました。腫瘍は抗がん剤始めてからみるみる縮小してって、すごい効いてくれて。手術ができるからということで、手術が決まります。で、2月に手術します。

岸田 再発のやつの手術ってことね。そのときはまた開腹手術?

加茂 そうです。がっつり。1回目の手術はみぞおちからへそ上だったんですけど、今度はみぞおちからへその下までいって、かつ、左にも切ってて。縦が20センチくらい、横15センチくらい、ピーッて切ってて。へそ、迂回するんですよ、きれいにね。

岸田 そのままばっさり切られると思ったら、へそ迂回すんのかいみたいなね。手術時間は長かった?

加茂 時間的には7時間半とかだったんですけど、いろいろ切ってまして。胃と膵臓、脾臓、あと横隔膜を切ってまして。最初手術前の説明では、基本的には開いてみなきゃ分かんないけど、「胃は全摘かもしれないね」って言われて、もしかしたら小腸切ったり食道切ったりするかもみたいな感じで。自分でも何を切られるのかよく分かんない状態で手術に向かうんですけど、目覚めてみたら、その四つを。

岸田 四つを切られてたと。

加茂 そうですね。メインは胃外科の先生に手術していただいたんですけど、横隔膜の手術で呼吸器外科もフォローに入ってくれたみたいで。胃は部分切除、脾臓は全摘、膵臓は部分切除で、横隔膜は左半分全部引っぺがして、再建で医療用のゴアテックスっていう素材が入ってます。

岸田 中に?

加茂 そうです。横隔膜って「仕切ってるだけだから大丈夫」とか言って、剝がしちゃって人工物入れてます。

岸田 そんなもんなんね。手術して、結構副作用とか大変やった?手術の後の。

加茂 手術の後はすごく大変で。まず、その手術自体も大きかったので、術後ICUに入って。ICU出てからすぐに40度の熱が出て。しばらく食べてないはずなのに、めちゃめちゃ下痢が出るっていう。調べたらなんかに感染してたみたいで。個室隔離されます。

岸田 なんかすごいな。いろんな経験してんねんな本当に。

加茂 あとは肺気胸になったり。

岸田 息できひんやつや。息しづらいやつや。

加茂 そうです、息できなくなって。1カ月ぐらい入院して、退院。そっからまた経過観察です。

岸田 で今にいたるということですね。

【恋愛・結婚 】

岸田 恋愛、結婚。

加茂 これは話すことは一切無いですね。もちろんまだ結婚はしてないんですけど、がん罹患当時、今も共に彼氏もいないので、特に話すことはございません。

岸田 質問です。もし、今後彼氏ができたとするときに、がんだっていうことは言いますか、言いませんかって言うと?

加茂 言いますね。

岸田 じゃあ、どんなタイミングで言いますか。

加茂 私、友人とかにもFacebookでがんでしたっていうのは書いて、全員伝わってたりするので。でも、これからできる友達に対しても、がんだってことを隠すつもりは全く無いので、多分友達関係の時点で、がんだっていうことは言うと思います。

岸田 もう知ってたりだとかして、そこからいいなっていう人とゆくゆくは。

加茂 今はあんまり結婚願望は無い。いい人がいればね。でも、がんだっていうことは確実に言いますね。

岸田 ありがとうございます。その中で妊よう性のこと。まず、抗がん剤治療する前に、先生から生殖機能を温存するか?という話があって。卵巣を取るっていう話があったんですよね。

加茂 あったんですけど、結局やらずに。抗がん剤始まって生理は止まったんですけど、終わったらすぐに戻ってきまして。同じ抗がん剤をやってる女の子たちに聞いてみたら、結構みんな戻ってなかったりするんですけど、私、本当にすぐ戻ってきて、今でも普通なんで良かったですね。心配は無いって感じです、その点に関しては。

岸田 一応生理とか戻ってきていて、普通に。けど、そこから出来やすさ出来にくさとかもちゃんと調べないと分からん。

加茂 調べてないですけど、取りあえずは。

岸田 取りあえずは普通だろうと。ちょっと戻るんですけど、妊よう性温存しますかとなったときに、結構将来のこととかいろいろなこと考えて、やっぱいいですってなった感じですか。

加茂 そうですね。やっぱり卵巣摘出ってなると手術なんですよ、一応。腹腔鏡手術で。その後すぐに抗がん剤っていうスケジュールが組まれてたので、一応腹腔鏡手術ってそんなに体力が落ちないと言われてるんですけど、それでも手術した後にすぐ抗がん剤で副作用もあってだとつらいかなっていうのと、あとはやっぱり今は子どもが欲しいという気持ちも無かったですし。卵巣保存って結構高いんですよ。見てびっくりして。こんなに高いのかと。

岸田 100万はいかへん?

加茂 あんまり詳細は覚えてないんですけど、高いなと思って。確実に使うと決まってるわけでもないし、絶対子どもができるわけでもなく。年ごとに維持費もかかってくるんで、いいかなと。

岸田 それは自分で判断した? 両親は別にそこには関わらず?

加茂 自分と、両親とも話していく中でそういう判断をしましたね。

【学校 】

岸田 学校のことっていうことになると予備校のことになると思うんですけれども。当時、休んだんですか、予備校は。

加茂 再発前は、まだ受験する気はありました。でも、10月に再発がわかってもう無理だと。がっつり手術の予定が受験ら辺だったのでやめました。

岸田 治療に専念して、2月に手術して、4月から予備校は復帰した?

加茂 無理でした。結局、抗がん剤、手術も含めて体重10キロくらい落ちて。胃も切ってるんで体重が増えない。抗がん剤治療中、免疫力落ちてて感染とか怖かったんで、ずっと家にこもってて、本当に体力も無くなって、筋力も落ちて、体重も落ちて。勉強もしようと思ったんですけど、座ってるのもつらいんですよ。お尻が痛い。脂肪が落ちすぎて。

岸田 そう。意外と座るのって体力必要やもんな。

加茂 座って同じ体勢でっていうのがすごくつらくて、全然勉強もできなくて。最初は受験しようかなってちょっと思ってたんですけど、やっぱりきついなっていうことを悟り始め、さらに一回また腹痛が起こるんですよ。それが最初の腹痛の痛みと似てて。再発したんじゃないかと思って、本当に夜中の12時ぐらいに慌ててがんセンターに来るんですよ、車飛ばして。そしたら、CT撮って「なんも無いです」って言われて。それは良かったんですけど、何も無いは何も無いでどうしようもなくて。

岸田 なんの腹痛なんやっていう。

加茂 そこで完全に心はぽっきり折れました。あとは、受かったとして、4月から大学に通うってなったら通えるのかって考えて、真剣に。無理だっていう結論に達し、もう一年後ろにしようということで、今年の春から予備校に通ってる。

岸田 今、勉強真っ最中の中で来ていただいたわけですよね。ありがとうございます。そういう治療をしながら受験ってなると、大変やからね。

加茂 大変ですね。体のこともありますし。

岸田 あかりちゃんには来年いいところに受かって、そして報告してもらいたいなと思います。

【後遺症 】

加茂 後遺症は、胃を切った後遺症が一番ひどくて。

岸田 胃どんぐらい切ったんやっけ?最終的に。

加茂 最終的に半分ぐらい切ってるんですけど。胃はすごい大変です。

岸田 例えば?

加茂 まず、食事量は減りますよね。分割食とかしてたり、あとは刺激物とかも食べれないし。私、コーラとかめっちゃ好きなんですけど、コーラは飲めなくなっちゃって本当にショックで。あとはダンピングっていうのがあるんですけど。

岸田 簡単にちょっと。

加茂 前期とか後期とかあって、人によって結構違うんですけど、私の場合は、食べて10~30分以内に、すごい下痢か吐くかどっちかで全部出てっちゃうっていうのと、それから数時間後に血糖値が急激に上がって、それを下げようとしてインスリンを体が出しすぎて逆に下がっちゃうっていう。血糖値が下がると本当に立ってられないし、ふらふらしちゃって行動不能になりますね。

岸田 どれくらいで、それ治ったんですか。治った?

加茂 いや、まだ。それは全摘してる人のほうが回数的には多いのかな。私はそんなに頻度としては多くないんですけど。それでもたまにあるかな。

岸田 気を付けてることある?

加茂 やっぱり糖分を持ち歩く。これは胃切った人あるあるだと思うんですけど。ラムネとかチョコとか持って、下がったときに食べるようにはしてます。あとは逆流とかしてきたり。寝転がると上がってくるんですよ、内容物が。それは結構きついですね。

岸田 その後遺症たちもどう付き合うっていうか、慣れるしかない?

加茂 手術から1年たつまでは結構大変で。体重も増えてこないし、すごい焦りがあったんですけど。でも、STAND UPっていう若年性がん患者の会に入って、そこで胃を切った方には何人か知り合ったんですけど、みんな「しばらくすれば食べれるようになる」とか「良くなる」とか言うけど、本当かなって思ってたんですけど、実際1年たってからすごい良くなってきて。だいぶ体重も増えまして。徐々に食べられるようにもなってきてるので、あとは食事量を増やしていければいいなと思いますね。

【キャンサーギフト 】

岸田 キャンサーギフト。がんになって失ったこともいっぱいあるけれども、強いて得られたものって何でしょうかと。

加茂 これは本当に、今の自分がキャンサーギフトっていう感じで。がんになって、自分自身と見つめ直すいい機会になって。今まで自分にあんまり素直になれない感じで、自分からずっと逃げて生きてきたって感じだったんで、がんをきっかけに自分自身と向き合えて。もちろん、たくさんの出会いもありましたし、すごい幸せだなとは思いますね、がんになったけども。

岸田 いろんなものに向き合えた自分がキャンサーギフトだったと。

加茂 今の自分を手に入れられたのは、がんのおかげかなっていうところはありますね。友達とかとも話してて、がんになってからちょっと優しくなったねって、顔も。「すごく丸くなった」とか言われることもあって。高校のときは何したいのかも分からず、どこに行けばいいのかも分からずって感じで生きてきたので、がんをきっかけにこういうことを考えられたっていうことも、すごい良かったなと思ってます。

岸田 素晴らしい言葉をいただきました。

【今、闘病中のあなたへ 】

岸田 今、闘病中のあなたへ。今、実際入院してらっしゃる方もいっぱいいらっしゃると思うんですけれども、その方に向けて。

加茂 失ったものより、得たものに目を向けてっていうことで、がんになってすごい失ったものって私自身も多くて。当然物理的に臓器とかを失ったり、時間も失ったり、すごい苦しいこともたくさんあったんですけど、そんな中で、たくさんの人の出会いであったりとか、得たものもたくさん多かったなって。最初の頃はすごい後ろ向きで、苦しくて、何もかも失ってってことばっか考えてたんですけど、がんになったからこそ得られたものっていうのを考え始めたら、すごい心も軽くなってきたので、失ったものよりも得たもののほうに視点を向けていけたらいいんじゃないかなって、過去の自分に言ってあげたいっていう言葉なんですけど。

岸田 いい言葉。失ったものも、本当にそれに目を向けがちなときもありますもんね。ただ、今から振り返ると、それじゃなくて得たものがいっぱいあったと。

加茂 ありましたね。がんになったからこそ得られたものっていうのはたくさんあるので、そういうものを大切にしていきたいなっていう。

岸田 あかりさんからのメッセージでした。ありがとうございます。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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