インタビュアー:岸田 / ゲスト:小舘

【発覚・告知】

岸田 本日のゲストは小舘洋さんです。

小舘 小舘洋と申します。今、「リレー ・フォー・ライフ東京中央(※1)」というところの実行委員をしております。その縁で岸田くんとお会いしました。

岸田 小舘さんは直腸がんのサバイバーで、病期は1から2ぐらいでしたね。

小舘 そうですね、2のギリギリ手前でした。

岸田 さっそく、小舘さんの闘病の経験、告知というところを教えてください。

小舘 2009年の9月に自宅でお尻を拭いたらですね、ペーパーに赤い鮮血がついたというのが最初ですね。周りでも、痔の人がいたので、「俺も痔になったよ」 なんつって、「やべえやべえ、どうするか?」とかって言ってました。痛みはなかったですね。で、10月になると、今度は便の上に赤い鮮血の血のりがついて。 それも痛くないのでほっといて、11月に便をしたあとに、水の上に血が、がっつり浮いてまして、「ちょっとこれまずいな」というところで、兄に相談をしたら 「病院に行け」ということで、内視鏡検査をしました。そしたらポリープがありました。先生が言うには、たぶん僕の年齢だと、「100人にひとりぐらいだから大丈夫だよ」みたいな。で、調べてもらったら、なんと全部が、がんだったと。

岸田 それは先生から、もうその場で、「がんです」って言われたんですか?

小舘 今、内視鏡でポリープを切除できるんですね。なので、内視鏡したときは 「ポリープがありましたよ」と。そっから生検(※2)ですね。精密検査してみないとわからないのでお待ちくださいと、 1週間から2週間ぐらい待っていた感じですかね。で、結果を聞きに12月に病院に行きました

岸田 その結果を聞くときは?

小舘 診察室に入った瞬間に、先生の態度が前回と全然違ったので「ああ、これはダメだな」ということを思い、言われてからは、「終わったな」と正直思いましたね。

岸田 終わったな?

小舘 「あーあー、終わっちゃったなー」 っていう感じが正直しました。それまで僕はずっとサッカーばっかりしてきたし、しかも、ちょうど仕事がすごく楽しくなってきて、頑張っていたときだったんですよね。「もっともっと人生楽しまなきゃな」といったときに、告知されたので、「あー、こんなもんか? 俺の人生」 っていうふうに思いましたね。

【治療】

岸田 ここから闘病がスタートしますが、どんな治療をされたんですか?

小舘 ポリープは、一部分だけがんっていうのが多いらしいんですね。ただ、僕の場合、全部がんだったので、まだ腸壁にもがんがあるんじゃないかということで、再検査をしましょう、というのが翌年1月でした。そしたら、まだ3か所ぐらいにあるのがわかって「クリニックではできることはないので、総合病院に行ってください」と言われました。そして紹介状を持って総合病院に行って、即答で人工肛門と言われました。

岸田 手術をして、人工肛門になるしかないと。そう言われたときにどういうことを思いました?

小舘 事前にかなり調べて行きました。なので、人工肛門って言われるだろうなっていうのも、正直わかっていました。でももう1個、肛門括約筋温存手術っていう、3か月間は人工肛門にして、元に戻すっていうような治療もあるんですね。「それができないのか?」とお願いをしたら、「できるけれども、ほとんどの方 が人工肛門に戻るよ」というふうに言われました。そう言ったのが明らかに若い先生だったので、「僕の紹介状をもらったトップの先生連れてこい」という話をして。その先生が来たんだけど「大体、カンファレンス(会議)やってるから仕方ないんですよ」「こんなもんです」 と。でも、諦められなくて兄に頼んで、「どこかいい病院ないかな?」「知り合いにも聞いてくれないかな?」というふうなことを言って、探し回ったんです。

岸田 いい病院は見つかったんですか?

小舘 そうですね。2つ良さそうなところが見つかって、セカンドオピニオンを受けました。で、1つ目の病院で「人工肛門じゃなくてもいけるよ」って言われました。次のところで意見を聞いたら、 「1つ目の病院の先生に任せれば、間違いないよ」と、後押ししていただいたので、手術を決断しました。

岸田 2010年の3月、手術に入るんてすね。

小舘 結果的に言いますと、経肛門直腸局所切除術をしました。治療の結果、浸潤(※3)がリンパまで行ってなかったっていう、ギリギリだったということと、「欧米では当たり前な、こういう手術もあるよ」ということで、手術前にいろんな説明をしていただいて、人工肛門、温存手術、局所の切除術の3つから選んでくださいと。その局所の切除術でも、「実績は結構あるので、いいんじゃないかな?」というふうに言われました。

岸田 実際の手術はどうでした?

小舘 下半身麻酔だけでやりまして、分娩台みたいな形にですね、両足を広げて、 僕のお尻のほうで、5人ぐらい先生がしゃべってるっていうね。「ここじゃないか?」「あそこじゃないか?」みたいな(笑)。とても恥ずかしい手術なんですけど。

岸田 何時間ぐらいの手術でした?

小舘 えーと、当初は1時間半って言われましたが、結果、3時間半ぐらいかかりました。ポリープを取ってから4か月ぐらい経っていたので、場所の特定がかなり難しかったっていうのもあって。それで時間が延びて、外で待ってる父と母と兄が、かなり騒いだっていうのは聞いてます。フフフッ(笑)。

岸田 「帰ってこないぞ」と。

小舘 「大丈夫か?」 と。

岸田 それは心配ですよね。で、その手術が無事終わり、そっから抗がん剤、放射線に入ると思うんですけど、最初からそれをやることは、決まっていたんですか?

小舘 そうですね。直腸局所切除術っていうのは、切る範囲が狭く、周りに浸潤してる可能性もあるということで、抗がん剤と放射線がセットなんですね。手術を受けて、ゴールデンウィーク明けから 抗がん剤が始まりました。心臓までカテーテル(※4)を入れて、カプセルの中に風船が入っていて薬を投与するというような治療をやりました。放射線は5月から、平日の45日間、毎日通いました。 で、7月の中旬に一応治療が終わって、お盆のあとに仕事に復帰、っていう感じですね。

【家族】

岸田 次に家族のことを。家族構成を教えてください。

小舘 家族は、父と母と兄。兄は結婚していて、奥さんと、子どもが3人ですね。 で、僕には、当時つきあっていた彼女がいました。

岸田 サポートはどうでした?

小舘 すごかったですね。いっぱいありすぎました。病院については、僕と兄でほとんど調べて、彼女は前職で一緒だったので、入院する前だったり、手術する前も、毎日一緒にいて、いろんな話をしました。あとは父と母は、あんまり心配してるそぶりを、僕の前では出さなかったという印象がありますね。僕の前では泣かなかったんですけど、兄の前では泣いていた、というのは聞いています。「私が代わりになればよかったのに」と言っていたっていうのを。父とは、手術すれば治るんじゃないかというふうに言 われたときに、一緒にお酒を飲んだんでけど、そんとき初めて父が僕の前でぼろぼろ泣いて、「良かったなー、良かったなー」って言って。正直そんな弱い父、あんまり見たことなかったので、ほんと申し訳ないことしたなって思いましたね。

岸田 申し訳ない?

小舘 そうですね。僕も思ってましたけど、「父と母より先に死ぬんじゃないか? ほんと親不孝だな」って、「これはダメだな」って、すごい思いましたね。

岸田 逆に、こうしてほしかったなっていうのは、あったりします?

小舘 いや、特に。僕、相当仲がいいんですよ。両親も兄も、今の妻である彼女もですけど、相当仲良かったので、しょっちゅう連絡を取って。入院中は、兄も、車で2〜3時間かかると思うけど、ほぼ毎日来てくれたりと。

岸田 すごいっ!

【恋愛】

岸田 次、恋愛の話題を。ご結婚されていますが、障害などなかったのかとかお聞かせいただけますか?

小舘 妻とは、会社には内緒で付き合ってまして。

岸田 同僚でしたよね?

小舘 はい。病院に行くってことも全部知ってましたし、大体いつも一緒にいました。静岡から出て、東京でセカンドオピニオンを受けて、そっちで手術するってことも全部伝えて、手術してからは連休とかもわざわざ来てくれて、近くのホテルに泊まって、看病にも来てくれて。すごい助かったんですね。退院したときも、僕は動けないので、わざわざ東京まで来てくれて。

岸田 じゃあ、がんになったからといって、見放されることもなく、献身的なサポートもあって、乗り越えていったんですね。そのあと、どのタイミングで結婚したんですか?

小舘 2010年に手術して、仕事復帰するわけなんですけども、じつは転職先が決まってしまいましてですね。がんになり結婚が遅れ、転職して遅れ、結果的には2013年の6月に結婚しました。

岸田 反対とかはなかったんですか?

小舘 嫁の家族からは反対があったと聞いてます。でも、嫁のお父さんは「事故で亡くなる人もいるんだから、おまえが好きならいいんじゃねえか」と言ったと。「すげえな!」と、ようそんなこと言えるなって、正直思います。今、僕に娘がいたとしたら、そう言えるかどうかっていうと、自信がないなと思うし。

岸田 奥様のお父様が、すごい後押ししてくれたってことですね。

【仕事】

岸田 次に仕事の話ですね。どういうふうに仕事に復帰したのか? 転職のときは、がんって言ったのかどうか? などお聞かせください。

小舘 仕事には8月に復帰しました。7月の中旬に治療が終わったので、1か月猶予がありました。

岸田 体力的には大丈夫でした?

小舘 自分では大丈夫なつもりだったんですけど、復帰して、1か月経たないぐらいに全身に帯状疱疹が出まして、やっぱり体は弱ってるんだな、と思いましたね。

岸田 仕事はどうでした? 復帰してみて。

小舘 そうですね。病気になったときも そうなんですけど、どっちかというと仕事が忙しくて逆に良かったな、っていうのは思いました。何も考えないで仕事だけしていれば時間が過ぎていく、っていうこともあったので。仕事に復帰してからは、「とにかく迷惑かけたぶん取り返そう」っていうことを、ずーっと思って いました。

岸田 そして、転職するわけなんですけれども。

小舘 はい、抗がん剤が終わった7月の中旬に、今の会社、外資系の保険会社から連絡が来まして。じつは、僕は保険にちゃんと入っていなかったので、話を聞きたいなーっと思って聞きに行ったんです。そうしたら、これはすばらしい仕事だな。と思いまして、転職活動が始まったという感じですかね

岸田 そのあとは? 普通に順調に進んでいったんですか?

小舘 はい。順調に進んでいって、面接のときに「僕は、じつはがんなんです」という話をしました。「今、闘病中で治療中なんです。ただ、本気でやりたいので、検討していただけませんか?」っていう話をしました。

岸田 え、で、相手の判断はどうだったんすか?

小舘 「ちょっと待ってくれ」っというふうに言われたのと、所長の方は、「小舘くんみたいに思ってくれる人がこの仕事をやる、って素晴らしいことだと思う」ということで、「なんとかするから 待っといてくれ」っていうふうに言われました。結果、合格をいただいて、そっから転職となるところでいきなり、「今回は無しにします」って、言われまして。

岸田 無しにします?

小舘 はい。 その、「 7月、8月入社は無しにします」というふうに言われました。理由は、「今、前職のみなさんが、 おまえのことを心配してくれて、おまえのことを待っててくれてるんだろう?」 と、「だとしたら、今このまま採用するっていうのは、俺らも逆の立場だったらありえないな」。「おまえが本気で、この仕事やりたいんだったら、半年やるから今までの3倍働いて恩返しをしてこい」と、そして「それでもやりたいなら電話してこい」っていうふうに言われたので、 そこで僕は、「すばらしい上司だな」と。 ですから、がんばって8月に戻って、翌年の2月ぐらいに「どうしても入れてください」というお願いをしたっていう感じですかね。

【お金・保険】

岸田 保険は入ってなかったということですが、治療費ってどれくらいかかった かわかりますか?

小舘 治療費としては、大体300万円ぐらいかかったんじゃないかな。いちばん大変だったのは、家賃と、 奨学金を借りていたので、その支払い。車のローン。あとは生活費もろもろだったかなと思います。奨学金については絡して、「じつはがんなんです」っていう話をして、書面を出して、止めていただいたっていう感じですね。あとは、がん保険には入っていなかったのですが、 病院に行くちょっと前に医療保険に入っていたのです。

岸田 じゃあ保険金は出たんですね。どれぐらい出たんですか?

小舘 医療保険なので、入院と手術しか出ないです。

岸田 医療保険に入ってて、まだ良かったって感じですかね。

小舘 あとは、傷病手当金(※5)を。手取り16万円ぐらいだったかな?

岸田 結果的にどうでした? がん保険入っておけばよかったとか。

小舘 今となってはですけど。今ね、その仕事をしてるからですけど、ちゃんと聞いときゃよかったなと。仕組みだったり、どういうときに使うってことだったり。自分はがんにならないって思ってたんですけど、考えてみると、がん家系だし、そもそもがんっていうのは、2人に1人がなるといわれているなかで、なったときに困るというよりは、事前に知っといたほうがよかったな、って思いましたね。

【辛いこと・克服】

岸田 肉体的、精神的につらかったことは何でしたか?

小舘 肉体的な痛みもあったんですけど、精神的にすごくつらくてですね。正直、両親にも兄にも、当時彼女にも、たぶん本音でつらいと言ったことはなかったと思います。心配かけたくなかったっていうのが、たぶんあると思うんですね。で、やっていたのは、闘病中ベッドの中で、ずーっとヤフーの掲示板みたいなところで、がんになった方の投稿を見たりとか、闘病されてる方にコメントして支え合ったというか、そんなことをしてましたね。 先生を信頼していたんですけど、でも、「ほんとにこれ正しいのかな?」「このままで大丈夫かな?」「僕どうなっちゃうのかな?」とかっていうのがあって、すごく不安だったんです。だけどそれって、家族に言ってもわかんないし、逆に心配させてしまうんで。であれば同じような境遇の人いないかなっていうのを探していたんじゃないかなと今は思います。

岸田 同じ境遇の人、探しますよね。だから、僕もこういう活動をしています。

小舘 すばらしい!

【後遺症】

岸田 じゃあ次に、後遺症のこと。

小舘 肛門はヤバいですね。お尻の筋肉を取ってるので、正直、漏れてしまうというとこですかね。

岸田 漏れる?

小舘 漏れますね。お尻を締める筋肉を取ってるんですね。そうするとやっぱり緩んできちゃうんですよね。なので便意がマックスきたりすると、たぶん、1分持たないぐらいですかね。

岸田 マジっすか? じゃあ、電車ヤバいですよね?

小舘 満員電車、最悪ですね。何度も降りたことあります。

【反省】

岸田 何かありますか?

小舘 自分の体調を過信しすぎました。仕事も遅くまでやっていて、当時サッカーをやってたんですね。なので、体も強いんだと思って、自分の体調管理をしなかったなって。あとは食事ですね。夜中にコンビニ弁当を食べたりとか、そんなことをやっていたので。今は、奥さんのごはんがおいしいので、はい。

【医療従事者への感謝&要望】

岸田 次、医療従事者への感謝・要望は ありますか?

小舘 総合病院の先生は、僕の主観ですけど、すごい冷たいなーというのを感じましたね。「これしかないんだよ」「当たり前なんだよ」「サインしなさいよ」みたいな感じに、僕は捉えましね。もうちょっと言い方があるんじゃないかな? っていうふうには、正直思いました。

岸田 言い方を工夫してほしかったな、っていうことですかね?

小舘 そうですね。やっぱりすごい忙しいし、大変なんでしょうけど。僕にとっては1つの命なんですけど、先生からすれば、ねえ? 数いるうちの患者っていう感じを、ちょっと受けてしまいました。 感謝でいうと、その次の先生たちには、客観的な目で見ていただきました。正しい情報を的確にいただいた。すごい感謝してます。

【キャンサーギフト】

岸田 がんになって得たもの、得たことはありますか?

小舘 僕の中では、そのときに考え方が変わったというか、そのときに、自分が死んだと思ったんですね。だとしたら何をやるか、っていうふうに考えられたっていうことですね。やっぱり親孝行しなきゃいけないなって思いましたし、今まで経験したものを、人に伝えたいなって、 「貢献したいなって思ったし。かつ、そこで探していったので、今ある仕事もそうなんですけど、これが天職だと思うんです。すばらしい仕事に出会えたと思ってますし、今、がんのボランティアもやってるんですけど、それによって心から信頼できる仲間ができました。それは僕にとってのキャンサーギフトだなと思います。

【夢】

岸田 小舘さんの今後の夢は何ですか?

小舘 一応、今、2つありまして、仕事を通じてお客様に貢献していくこと。自分の家族だったり、周りにいる人を物と心、共に幸せにするっていうことをやりたいなっていうのが1つ。もう1つは、がんのボランティアをやってるんですけども、がんになったってことはすごい大変だったんですけど、そういう先生たち、 こういう仲間出会えたっていうことは、 すごい僕にとっては、幸せなことなので、そういったことを、もっともっと多くの人に知ってほしいなっていうのがあります。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 メッセージをお願いします。

小舘 「諦めるな!! 1人じゃないよ!!」

岸田 その心は?

小舘 僕は正直諦めなかったんですよ。あのー、なったことは仕方ないなと、ただ、絶対治してやるということで、病院を探し回ったっていうことが、僕の人生の変わり目だったかなと思います。たぶん、あのときに諦めてはんこを押していれば、僕の人生はまた違った人生になっただろうなと思います。真剣に探した結果、僕にとっては最善な治療ができたのではないかな、と思っています。なので、みなさんに諦めてほしくないなというふうに思いますので、「諦めるな‼」と入れました。

岸田 そうですよね。小舘さんの場合は、主治医から、「人工肛門しかないよ」って言われても諦めずに病院を探して、違う先生のところに行って、人工肛門にならず、そしてそれから、自分だけじゃなくていろんな社会貢献とかもされて、いろんな人と巡り会って、一緒に活動しているんですもんね。

小舘 そして、「1人じゃないよ!!」というのは、当時は2ちゃんねるとかを見てたかもしれないけど、今は活動している方がいっぱいいらっしゃるので、「話を聞いてほしいな」っていうときがあれ ば、ひとりで抱えずに。もっともっとみなさんと支え合っていきたいなって、すごく思います。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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