インタビュアー:岸田 / ゲスト:谷島

【発覚・告知】

岸田 まず発覚・告知というところを語っていただいてもいいでしょうか?

谷島 2012年の8月に第1子が生まれる予定でした。それで、子どもが生まれるので生命保険を見直そうと思ったんですね。そのためには健康診断の結果がいるということで、会社の健康診断を受けたところ、胸部のレントゲンに何やら影っぽいのが写ってるね、ということで大学病院を受診しました。そこで「ちょっとまずいもんが写ってるね」となり、発覚に至りました。

岸田 「何か写ってるね」って言われたときは、がんとは全然思わなかったんですよね?

谷島 思わなかったですね。ただどっちにしろ、手術はしないといけないから 「非常にめんどくさいことになったな」 と思ったぐらいでしたね。ちょうどそのころわりと熱心に筋トレとかをしていて、ベンチプレスをやっと120キロぐらい上げられるようになったんですよ。体にメスを入れるのが嫌だな、っていうくらいにしか思ってなかったですね。

岸田 病院に行ってからどういう流れになったんでしょうか?

谷島 ちゃんとした診断をするための検査入院をしたわけですね。その入院中に告知されました。先生に個室に呼ばれて 「調べた結果GISTだった」と。「ということは、これがんなんですかね?」と尋ねたら、「いや……まあタチ悪いね」と。でも、自分からしたらそんなに悪いものと思わなかったんですよね。だから先生のシビア度と僕のシビア度が全然共有できてなくて、僕はなんとか食道を全摘出しなくて済む方法を考えたいというレベルだったのに、先生からしたら命が助かるかどうかみたいな話だったので。 ただ今は病気のことをネットですぐに調べられるじゃないですか。そしたらこれけっこうまずいことだぞ、と思い始めて。とにかく結果として、悪性のもので手術をしないといけないっていうことは確定してるんで、すぐ家族と会社には伝えましたね。

【治療】

岸田 治療の話に入っていこうと思います。まず、2012年の7月に食道のGISTが発覚しました。

谷島 そうですね。そのあとで食道全摘って、すごく大規模で難易度が高い手術になるし、後遺症も厳しいものがあるということを知って、なんとか避けたいと強く思いました。もっといい治療法があるんじゃないかと、セカンドオピニオンを受けるために5か所くらい回りましたね。

岸田 5か所から、どういう理由から病院を決定したんですか?

谷島 セカンドオピニオンの結果、食道の全摘は避けられないことが分かりましたので、まず希少がんであるGISTの専門家であることは第一条件で、かつ難易度が高い食道の手術に関しても実績のある病院がいい。この2点で選ぶことにしました。

岸田 それで、セカンドオピニオンをして移ったあとは?

谷島 はい、腫瘍を小さくしてから手術をしましょうと。そこからグリベックという薬を使って、8センチ以上あった腫瘍を小さくすることにトライしました。 私がこのころあんまり病気に対し悲壮感を持っていなかったのは、グリベックの登場によって非常に予後が改善されたんですね。データによっては90%以上の人になんらかの形で効くと。しかも劇的に奏功するケースも多い。だから期待してたんですね。でも、結果効かず。かなり絶望しましたね。

岸田 ということは90%以上はなんかしら効くけど、残りの10%に入ってしまった。

谷島 入っちゃったんですよ。

岸田 きつい。

谷島 ええ、ですから手術で全部取り切って、あとは再発しないこと祈るしかないっていう。さらに、肺にも転移らしきものが見えてきてるぞと。かなりシビアな状況っていうのは自分でも覚悟しましたね。なんで、けっこう落ち込んでましたね、この頃は。

岸田 肺転移に対して手術。

谷島 手術しましたね。右肺に転移してたんで、右肺の腫瘍3か所ぐらいと食道を全部取りました。

岸田 すると、いったんここでは終わったんですかね?

谷島 そうですね。それで、病理検査(※ 1)をしたら、増殖能力の高い細胞っていうことが分かってきて。遺伝子検査もしましたが、結果は変異が特定できなかったので、どの薬も効きにくいことがわかってきた。

岸田 そして、2014年になって、次は両肺に多発転移。

谷島 多発転移ですね。僕はこのときが一番ショックでした。転移が見つかった診察の帰りに、電車に乗って帰ったのは覚えてるんですけど、その後どうやって帰ったかよく覚えてないな、みたいな感じでしたね。

岸田 多発転移がわかって、そこから化学療法に入ります。

谷島 はい。でも副作用でつらい思いをしたんですけど、腫瘍の縮小は見られなくて次の薬に移りましたね。最初の手術の時点で遺書を書いたりして、死ぬ覚悟はわりとすぐできたんですよ。なんか侍みたいでかっこいいぜみたいな。でもこうやってつらい思いをしながら生きていく覚悟っていうほうができてなくて、死ぬ覚悟より生きる覚悟をするほうがずっと大変なんだな、っていう事に、この時期に気付きましたね。

岸田 2014年の8月、肺のラジオ波2か所ってありますけど。

谷島 腫瘍を手術で切除するか、ラジオ波で焼くかっていうところで、ダメージが少ないほうがいいからラジオ波で、取り急ぎすでに大きくなってしまった腫瘍を焼きました。ただ、まだ何個も残ってますから、主治医がすすめてくれていた治験に参加しましたね。

岸田 それで、いざ治験が始めました。けれども、翌年の2月、左肺手術。

谷島 治験に行って、がんばって1〜2か月入院したんですけど、結局これも副作用ばっかり出て効かなかったんです。それで望みが薄くても外科的治療にかけていくしかないな、と思いました。そのあとも、手術をしたりラジオ波をしたりっていうのを繰り返していったんですね。これで全部なくなったと思ったら、またすぐ1個新しいのが見つかって。とりあえずあきらめずにやっとこうということでもう一回手術したらそのあと1年ぐらい、新たな転移は見つかっていないっていう状況です。

【家族】

岸田 谷島さんのプライベートに切り込んでいきたいと思います。

谷島 今一緒に暮らしてるのは妻と娘で、 3人家族で、妻も私も両親は健在です。やっぱり家族の存在っていうのは最大のモチベーションになっています。ただやっぱりいちばん心配させたしいちばんつらい思いをさせたと思います。そしてもっとも感謝してる存在ですね。

岸田 お子さんは当時、何歳でしたか?

谷島 生まれると同時に発覚したんで、0歳。今は4歳になりました。

岸田 お子さんとこれからどうしていこうっていう不安とかなかったですか?

谷島 あー、もうむちゃくちゃありましたね。病気になって最初にしたことが、自分が死んだときに残せる遺産の計算ですね。やっぱり家族に安定して生活してもらいたいと思ったんで。そこはすごく不安に思いましたね。妻には私と結婚して妊娠したのを機に、それまでの仕事を辞めてもらって、専業主婦でやってもらっており、今後も当面子育てに専念してもらおうと思っていました。でも数年先、僕はいないかもしれない。なので、妻にも正社員として安定して、今のうちから働いてもらったほうがいいだろうと考えました。いろんな方にお願いしながら就職先を探し、妻のこれまでのキャリアを活かせるような職場で働かせてもらうことになりました。

岸田 育児はどうされるんですか?

谷島 急遽探して、保育園に。だから経済的な安定っていうのは確保はできて、安心材料になったんですけど、本来だったら過ごせたはずの母と子の時間っていうのを奪う結果になってしまった、というのは非常に心苦しいですね。そこはほんとにいちばん申し訳ないと思ってるところです。

岸田 谷島さんのご両親にはどう伝えて、今どうされてますか?

谷島 両親には段階的な伝え方をしてたんですね。だんだん悪いらしいっていうことがわかってきて、当初は向こうがなんかしてあげたいけど何をしてあげていいかわからないっていう状態でした。妻に働いてもらうことになったので、代わりに子どもが熱を出したときは面倒見てもらったりとか、僕が入院したときの世話などをサポートしてもらってます。

【仕事】

岸田 次に、仕事のこと。働いていてがんが発覚して、そのときお仕事はどうされたのかっていうのを教えていただけますか。

谷島 非常にいい職場だったんですね。上司も同僚もとても信頼してたんで、ありのままの状況を話しました。結果的に勤務的にも配慮してもらえたし、治療で休みながらも出勤できるときは出勤して仕事をさせてもらえるという状況で。そのおかげで経済的に困ることもなくやれましたね。

岸田 仕事や勤め先の規模とかを教えていただけますか。

谷島 わりと大きな企業なんですけど、ある程度の大きさの企業だったら制度的にはだいたい似たり寄ったりだと思うんですね。だから、その制度内でどこまでやってくれるかは、制度の問題というよりはその組織の人の問題だと思います。上司や同僚が親身になってくれる人たちだったんで、制度内でうまくサポートしてもらえたという感じですね。

岸田 闘病期間がけっこうあるじゃないですか。このときは行って、このときは休んでとかあります?

谷島 もともと僕は都市開発系の仕事をしてたんですけど、その仕事はちょっと難しくなったので、新しい企画を作って動かしていくっていうことを始めました。でも1年で再発して入退院を繰り返すようになっちゃったので仕事に関しては中途半端になったところもあり、反省はありますね。

岸田 今はどうしてます?

谷島 私のがんの経験を活かしたような仕事ができないかな、と考え会社に企画を提案したんですね。がん患者として、当事者の視点で社会の課題を解決していくような企画をいくつか出して、それをやりやすい部署に今年の4月から異動させてもらって仕事をしてますね。

 

 

【お金・保険】

岸田 次は、お金、保険ですね。

谷島 自分で払ったお金は、ざっくり計算して401万8903円。純粋な医療費、社会保険や高額療養費制度(※ 2)とかが無かったとするとやっぱり1520万円くらいかかってますよ。ただ生命保険にがんの特約なども付けたりしてたんで、そこから下りてきたりとか。 僕、岸田さんにお金のこと聞きたいんでって言われたから、昨日初めて計算したんですけど、「うわ、こんなかかってたんや」ってめっちゃ焦りましたね。

岸田 そうですよね。機会がないとお金は分かんないですよね。

谷島 治療で400万円くらいでしょ。ちょっと変な健康食品とか買っちゃったりするじゃないですか。そんなんとか入れたらもっとかかってますよね。

岸田 買っちゃったタイプ?

谷島 高いのは買わないですよ。ただ病気になってからヤクルトとか飲むようになったりね(笑)。

岸田 にんじんジュースは飲んだタイプ?

谷島 あ、これがね、妻がすごく考えてくれて、にんじんジュース。通販で箱ごとにんじんが届いて、低速絞りジューサーっていうのが置かれて……。ただね、もう僕は胃を取ってるわけですよ、胃がないんですよ。あんなもん飲んだら腹いっぱいになってね、他のものが何も食べられなくなっちゃうんで文句を言うじゃないですか。それで、僕の妻の良いところはすごく継続性がないところで、怒ってもう作らなくなったんですね。

岸田 じゃあ、ジューサーだけ家に置いてある。

谷島 そう、ジューサーだけほこりかぶって置いてあって。いちばんひどかったのがベランダの端っこの方ににんじんとかりんごが入った段ボール箱をそのまま置いてたんで、それ要らなくなったわけじゃないですか。1年後に僕が発見してしまって、中を見たら、よく白雪姫とかの魔女が作るしわしわの毒りんごみたいなんあるでしょ。あんなのがいっぱい入ってて。もう、にんじんとか全部とうがらしみたいになってて。

岸田 水分抜けちゃったんですね。

谷島 まあ妻が飽きっぽいおかげで、僕はにんじんジュースをそんなに飲まなくて済んだみたいな(笑)。

【辛いこと・克服】

岸田 精神的や身体的につらかったとき、 谷島さんはどうされたんですか?

谷島 体でつらかったのはやっぱり体力がめちゃめちゃ低下してしまったこと。あと、食事がちゃんとできないことですよね。 ちょっとしか食べられないし、食べたあとダンピング症候群っていう低血糖みたいな症状が出てしんどくなる。いちばんつらいのは頻繁に腹痛を起こして、下痢をするようになった。急にお腹が痛くな ってトイレに行かなきゃいけないことが増えました。他には、食道と胃を取っちゃったんで、寝てるときに平らになると胃液とかが逆流してきちゃうんですよね。だからベッドで寝るときに上半身を斜めにしないといけないから、体が休まらないとか。また、手術やラジオ波をしまくってるんで、後遺症で体中が痛くて痙攣みたいなの起こしたりするし。

岸田 えー、それは今でも?

谷島 うん。腹筋ローラーとかしてたらね、痙攣起こしますよ(笑)。

岸田 いやいやいや。やることが違う。そのときどう乗り越えたんですか? 谷島さんの場合。

谷島 いや、僕は途中で〝あらがう〞から〝楽しむ〞に意識を変えてました。最初はとことん病気や後遺症に対してあらがってやろうと思ってたんですよ。とことんあらがったおかげで、わりと見た目は病人っぽくなく保つことはできましたね。それから徐々につらい思いしてあらがうっていうところから、なんか今の状況を利用して楽しめないかっていうことを考え始めました。たとえばグリベックっていう薬を使うと、肌の色がどんどん白くなっていって、いかにも抗がん剤やってますみたいな顔色になってくるんで すよね。そう見られるのが嫌で、日サロに通いました。どんどん黒い人になって、 病院に入院するときには真っ黒だったん で、先生や看護師さんが「どうしたんですか」みたいな。会社や、当時は友達の結婚式なんかもあって、病人に見られたくなかったんですよ。なんで、日サロ行って焼いて、周りからは「AV男優みたいになった」とか言われて、ちょっとショックでしたね(笑)。あと、髪の毛がどんどん白くなってきたんですよ。普通やったら黒に染めるんですけど、ちょっとそれやと面白くないなと思ったんですよね。抗がん剤による治療中の今だから許されるだろうってことで、EXILE みたいに銀髪にして楽しみました。

岸田 しかも、白くなってるからもう銀も映えやすいっていうね。ブリーチしなくてもいいじゃないですか。すごいなー。

谷島 治験で東京の病院に入院したんですけど、わりと暇なんですよね。なので外出許可をもらって近くのスポーツクラブに入会したんです。行けない日は、近くの公園で懸垂とシャドーボクシングを1時間くらいして病院に戻る、っていうのをずっと繰り返しました。あとキックボクシングジムにも行ったんですよ。

岸田 え、これ以外にも?

谷島 はい。あの「体験入会させてください」とか言って。

岸田 これ、やってみて他の患者さんに勧めます?

谷島 いや、勧めないです(笑)。ただ、なんでも試してみるっていうのが大事。パラリンピックの選手たちだってそうじゃないですか。たぶん自分が最初からあんなすごいことできると思ってないですよね。なので、とりあえずやりたいことをやってみて自分で折り合いをつけていったらいいんじゃないかな。

【後遺症】

岸田 次いきます、後遺症。いっぱいあると思うんですけど、1〜2個ピックアップしてもらって。

谷島 おなか壊すのが嫌で、今もやっぱり不安なわけですよ。この収録中に腹痛くなって、トイレ行かないといけなくなったらどうしようと。でもこれも、楽しもうと思ったら楽しめます。例えば、すぐ近くのトイレとかじゃなくて、あえて遠くのトイレに行ってやろうとかってね、なるわけですよ。

岸田 そこの楽しさのポイント教えてください。

谷島 がんで漏らしそうになってるってしゃくに障るじゃないですか。ではなくて僕は僕自身の崇高なチャレンジによって漏らしそうになってる、みたいなね(笑)。

【反省】

岸田 次いきます。反省や失敗。あのときこうしておけばよかったなとかありますか?

谷島 病気になったら人がよかれと思って、やってくれることとか、励ましてくれることってあるじゃないですか。でもちょっと違うよなと感じたり、イラッとしたりするようなことありますよね。そういう善意や励ましを素直に受け取れなかったときがあったので、それは反省してますね。相手としては善意なんだから素直に受け取っておけばよかった。相手の気持ちも察するように努力せなあかんかったなと思いますね。特に家族に対しては申し訳なかった。

【キャンサーギフト】

岸田 キャンサーギフトについてお願いいたします。

谷島 はい。3つあって。1つ目はとても視界がクリアになったこと。本当に自分にとって大事なものと、そうじゃないものがよく分かるようになって。自分が 本当に大切に思うものを大切にできるようになった、っていうところですね。だから、当時仕事なんかはわりとすぐ他の人に譲れたりしたけど、やっぱり家族のことは譲れないな、キックボクシングは続けたいな、とかね。そうやって、自分が本当に大切にしたいもの、そうじゃないものってのがきれいに見えるようになってきた。2つ目は心の感度みたいなものが上がったかな。ちょっとのことでも幸せに感じられるようになったりとか、 人の痛みに共感できるようになったりね。これは、人生を豊かにしてくれるものじゃないかなと思います。最後は月並みですけど、がんにならなければ無かっただろう出会いっていうのは、やっぱりありましたね。

【夢】

岸田 次に、あの谷島さんの夢ですね。

谷島 すごく大きくてぼやっとした話なんですけど、誰もが自分に生まれてきて良かったなと思えるような未来をつくる、そのきっかけづくりを自分ができたらなあと思ってますね。単に「弱者に優しい福祉的な社会」っていうことではなくて、 誰もが自分の可能性を輝かせられるような社会づくりみたいなことに関わっていけたらなあ、と思ってます。当事者側から誰もが可能性を発揮できる未来をつくるために、昨年から、働く世代のがん経験者によるソーシャルデザインプロジェクトっていうのを始めて、運営しています。がん経験を新しい価値に変えて社会に活かすということをテーマに、サバイバーの創造力で何かを生み出すことで、より良い社会をつくっていきたいなと思っています。大学や企業などさまざまな分野や業種と連携して、がんとの闘病経験やその後の生活から生まれたアイデアを形にしていくっていう活動を進めています。今30名弱くらいのサバイバーの方とサバイバー以外の業種の方が集まって、一緒に日々試行錯誤しているところです。もし自分の思いを何か形にしていきたいなっていう方がいらっしゃったら、ぜひご一緒しましょう。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 今、闘病中の方へメッセージをお願いします。

谷島 はい。「今この瞬間を大切にして、 自分の人生を愛そう」。

岸田 この意図は?

谷島 がんになっていちばん悲しいことは、こんなはずじゃなかったと、自分の人生を愛せなくなることだと思うんですね。がんになったことも含めて、この人生で良かったと思えるように僕はしたい。そのためには、今この瞬間っていうのを大切にしていく。それを重ねていくことで、自分の人生を愛せるようになってくるんじゃないかな、と思います。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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