複雑な家庭に育ち、がんが発覚しても親に頼れなかった谷本さん。母として、妻として乗り越えなくてはならない不安だけでなく、夫にも心が開けなくなり......。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:谷本

更新日:2016年10月08日

【発覚・告知】

谷本 がんの種類はGIST(消化管間 質腫瘍)です。GISTは10万人に1人から2人が罹患する疾患といわれています。GISTはステージではなくてリスク分類をしているんです。リスクが低いって考えられる症例から順に、超低リスク、低リスク、中リスク、高リスクって分けられるんですけど、私は中リスクです。

岸田 闘病時期は?

谷本 2012年の6月から。

岸田 有佳さんは今まで「リレー・フォー・ライフ・ジャパンしが(※1)」の実行委員もされていたんですよね。

谷本 はい、「リレー・フォー・ライフ・ジャパンしが」の2014年度実行委員長と、2015年度副実行委員長でお手伝いさせていただきました。

岸田 では、さっそくどういう状況で有佳さんの場合は告知を受けたのか、お願いできますか?

谷本 はい。仲良しのママ友達とランチ会をいつもしてたんですけど、私達もいい年だし、ランチじゃなくて人間ドックに行ってみようか、っていうことでランチ気分でワクワクと受けて。

岸田 ランチ気分で人間ドックに行ったんですね。

谷本 そうそう。

岸田 それ、ランチよりだいぶお金かかると思うんですけど。

谷本 うん。まあ、検査の中にランチ券も含まれてたりして……

岸田 そういうやつがあるんですね?

谷本 そう、なんか4種類のおいしいお店から選べるっていうのがあったので、すっごくおいしそうなお店を選んでワクワクしてたんですけど。

郵送で結果が返ってくるんですけど、 胃カメラの検査で腫瘍がありますってことで、何の腫瘍かも分からないので「要受診」に。私は結局人間ドックで腫瘍が見つかって、すぐに病院に行って手術で摘出したんですけど、GISTも悪性かどうかっていうのは手術で腫瘍を摘出して病理に出さないと分からない。手術から結果が出るまでの1か月っていうのは生きた心地がしませんでした。

岸田 1か月後どういった形で告知されたんですか?

谷本 「胃粘膜下腫瘍の疑い」って。悪性だったらGISTかもしれないけれども、 GISTは10万人に1人か2人しかかからないから、GISTっていうことはたぶんないから、ただの筋肉で手術したら終わりだよー、みたいな感じで言われてたんですけど。宣告受ける前の手術のときの方がすごく困って。まあ、がんかどうか分からへんけど手術するよって言われたとき、子どもがちっちゃかったし、じつは私は両親に育てられてなくて、祖父母に育ててもらってるんですね。子どもが3人いるんですけど、素直に甘えられる預け先がなかったので、ただ単に12日間入院するっていうことがすごく困り事だったので。

岸田 めっちゃ複雑な家庭なんですね。

谷本 うん、だからすごく困って。

岸田 どうしたんですか?

谷本 結局主人とがんばって。主人の両親も来てくれたりいろんな人に来てもらったりはしたんですけど、やっぱり素直に甘えることっていうのが精神的にはできなくて。みなさん手術して帰ってきはったら、ちょっとゆっくり休憩しはると思うんですけど、もう手術してすぐに買い物出て、すぐに掃除して、洗濯して、ごはん作って、という状況でしたね。

岸田 そういうことが待ってたんですね。じゃあ、告知されたってこともあるけど、それ以外が大変すぎて。

谷本 はい。もうそれに追われていたので、告知されてどうだって言っても……。もう手術で切ってしまっているし、それ以後のことも、「大丈夫だよ」って「経過観察ですよ」って言われたら……何もないんですけど。

岸田 このあとの治療ってどうするんですか?

谷本 私、中リスクなので再発防止のためにアジュバンド療法って抗がん剤を、GISTでは分子標的治療薬っていうものを、服用することになってるんです。「本当はアジュバンド療法しないといけない」、「小さな子どもがいるから、なおさら生きてほしいから服用して」って専門の先生にも言われて。私たちは子どもが小さかったこともあるし、すごくお薬が高価で経済的負担がすごく大きくて、私もすごく悩んだんですけど……。

岸田 その分子標的薬っていうのは飲み薬?

谷本 飲み薬です。じつは、GISTっていう病気が、そのときはまだ稀すぎて、たぶんガイドラインとか広まってなかったのか、初めは低リスクって言われてて、手術してもらった地元の先生から低リスクだったらアジュバンド療法は必要ないっていう認識でいたので、その薬は飲んでほしいって言われてないんです。じつは腫瘍径は小さかったんですけど、核分列数って言って、腫瘍が大きくなるスピードが速い腫瘍でした。セカンドオピニオンで受診したGISTを専門とするお医者さんに、中リスクと見直されました。その先生が「飲むことを勧める」って言ってはって。1年2年過ぎたころだったんですけど。GISTの仲間たちからも、「どうして飲まないの?」って言われてました。

岸田 そうですよね、だって、それを飲んだほうがいいって推奨されてるものなんですもんね。

谷本 でも、私GISTと同時にバセドウ病も見つかって、GISTの手術のあとにホルモンのバランスを崩してすごく体調が悪くなったんですね。それで1年ぐらいお薬の治療をしてたんですけど、私は普段から風邪薬でも副作用がすごく響く体質で、その薬の副作用で家事もままならない、毎朝吐いてたし、という状態で。それで抗がん剤ってちょっと無理だって思って。しかも子育てができない、核家族で誰も頼る人もおれへんし。だからお薬は無理だなっていうのが結論でした。体力的な心配と経済的な心配から。

岸田 経済的な心配……飲んだほうがいいよ、って1年後に言われたときに、お金と体力的な問題からやめようと。

谷本 私もすごく悩んで。専門の先生って、すごく良い先生やったんですよ。すごい愛が届くっていうか、「絶対この子のために生きて!」「飲んだ方がいい」って言ってくれて。地元の主治医の先生にも手紙も書いてくれはったんですけど。 でも本当に、経済的にも、肉体的にも、精神的にも飲めない環境だったので。でも、そこで主治医の先生が「大丈夫大丈夫。谷本さんは自分で病気治せるって。 飲まんでも全然大丈夫って、僕はそんな気がする」って言ってくれはったんです。 でもそれってね、医師としては問題な発言かもしれないけど、私にはもうそれしか道がないから。無理なものは無理だから。その先生が、「大丈夫大丈夫、飲まんでも絶対いける」って言ってくれたことが、 私にとって何よりの適切な医療やったんですね、じつは。前向きになれたし。

岸田 医師としてはちょっと問題じゃないですか? 結果的には、今飲まずに再発してないっていう事で良かったのかもしれないですけど。そっかあ、難しいところですね。

谷本 うん、難しいですけど、もう私にはどうしようもなくって、飲む選択っていうのがどうしてもできなくてつらいところを、「それでもいいよ」って言ってくれた先生だったので、大丈夫、信じようって思いました。

岸田 何を伝えたいのかって言うと、お金の面だったりとかいろんなところを、僕たちを含めた患者さんたちは考えて治療の選択を決定してるってところですよね。

谷本 私は実の父にも母にも素直になれなくて、幼いころは祖母や叔母に育ててもらいました。私ががんになる直前に、叔母が若くしてがんで亡くなってるんです。育ての母みたいな祖母が亡くなったあとすぐやったんですよ。当時私はすごく心を閉ざしてしまっていて。私、がんになって、妻失格、母親失格、嫁失格みたいな気持ちに駆られていろんな病気のこと調べてても患者失格みたいな気持ちにもなってきて。いろんなものを読んでも、ご家族と寄り添いながら病を乗り越えていくとかいう立派な患者さんがたくさんいらして……ごめんなさいって感じで閉じこもっていたんです。

自分が何もかもやる気を失っていたら、そのとき中学1年生やった長男の学校での態度がすごく悪くなって。先生から電話がかかってきまして、「お母さんが病気っていうのはわかるけど、こんなことじゃあかんよ。子どもさんの将来台無しになるから。お母さん、元気に笑顔で前向きに生きて」って。なんとか頑張って前向こうって思ったときに、ご近所で琵琶湖を自転車で1周された方がいたので、その方に「私にもできる?」って聞いたら、「できるよ」って言ってくださって。亡くなった祖母の貯金を下ろして自転車を買いました。大切なお友達が「私も一緒に行ってあげる」って言ってくれて、近所の方とその友達と3人で琵琶湖1周を2日間かけてしたんです。帰ってきたら子どもたちが花束と手紙を持って待っててくれて。

岸田 嬉しいですね、それは。

谷本 そうそう。子どもたちも、一緒に琵琶湖1周してくれたお2人に対し、お母さんを支えてくれる人がいてくれて嬉しい、っていう思いを持ってくれてたみたいで、私の病気を通して子どもたちに感謝の気持ちが芽生えてたのがすごい嬉しかったです。

【家族】

岸田 いろんな家庭の環境があると思うんですが、その中で闘病していくっていうのがリアルな患者さんの姿だと思います。有佳さんの経験談が同じような人たちにとって前向きになる何かになればいいと思うのですが、もしよければちょっとご家族のこともお話しいただけますか?

谷本 「がんノート」に参加させてもらう事とその内容は、私の夫に了解してもらっていますって前置きしますね。がんになってから心を閉ざしていて、無理に笑顔を作って普段どおり過ごすっていう努力はしてたんですよ。1人で抱え込んで、こそこそGISTの情報を調べては泣く場所がなかったから、トイレとか琵琶湖とかで泣いてたんですけど。夫婦のパートナーシップとしては、じつは結婚3年目ぐらいから、ある事情で私の気持ちに冷めるものがあって、離婚を申し出てたんですけど。

岸田 えー!

谷本 でもまあ、結婚は甘いものではないじゃないですか。私も分かってるし。

岸田 肝に銘じます。はい。

谷本 たびたび両家の両親の説得を受け、子どもたちの父親、母親として夫婦でいろんな努力を重ねてきたんですけど。私たち夫婦、互いに貧しい子どもやったり、 不完全な家族構成で育ったりしたけど、でもじつは本当はとっても愛されて育ってるんですよ。でも自分自身は幸せやって感じてるのに、世間から非難される子ども時代を経験してるんですね。主人とは小学校の同級生なんですけど、結婚生活は世間体とか社会で人並みにっていう見栄とかそんなことを意識して、なんかすごく頑張り過ぎてたんですね。私には、障害や病もある子もいるんですけど、とりあえず社会の偏見という壁が多い夫婦やったと思うんです。

そこに加えて私のがんが夫婦関係の悪化にはすごい大きな影響があったと思うんです。夫もつらいし私もつらいし。だけど互いに伝え合えずに、互いを知らず知らずに傷つけてたんじゃないかなって今は感じるんです。リレー・フォー・ライフのがん支援のお手伝いをさせていただくときも、きっと夫は、妻ががんなら旦那は当然寄り添わなければならないってたぶん思ってくれてて、一緒にボランティアに参加してくれたんです。でも私は夫が誰よりもいちばんに私に寄り添ってくれてたら、ボランティア経験は必要なかったって感じてたと思うし。サラリーマンでいちばん働き盛りの夫もしっくりこない様子で。でも、私も仕事がいちばん充実するこんな大切なときに、がんになってこんなボランティアして、こんな嫁は失格やっていつも自分を責めてきたんですね。

この8月に夫の父親が亡くなったんですけど、そのとき告別式会場で夫の母とゆっくり話す機会があったんですけど。夫の父親が亡くなったことで、たぶん夫もいろんな感情が出てきたのか、夫は夫で私を 「まっすぐ愛して寄り添ってやれなかった、亭主失格や」っていうふうに夫の母に悔やむ気持ちを伝えてたって聞いて。 2人とも明らかにね、無理を重ねる経験してたんやなって思ったんです。 2012年にボランティアさせていただくときに、がん以外の様々な理由も含めて、私は夫に離婚届を渡してがん支援のお手伝いに挑んだんです。夫はその時点ではがんになった私を1人にさせることもできないし、核家族で助けてくれる人も近くにいないし、子どもたちを私が1人で育てることも夫が1人で育てることもできなかったので、離婚は受け入れてくれなかった。

岸田 そうですよね。だってお子さん3名いらっしゃるんでしょ?

谷本 そうそうそう。小、中、高と3人いるんでね。私はこのときから、なんか病気とか自分自身について、夫には心を開けなくなったんです。でも自分ががん支援のお手伝いをしてるときに、主婦のがん患者さんからの相談の電話とか訪問がたくさん来たんです。私が受けた主婦のがん患者さんの悩みは100%パートナーシップに関することやったんです。 夫が病に向き合ってくれない、1人で病院に通って寂しい、家族の恥になるから病気であることを伏せてほしいって夫に頼まれて、遠くの病院に通ってる。姑から「息子がかわいそう、健康な女性とやり直すこともできる年齢なのに」って言われたとかね。私は、「がんになったから愛されないの? それとも元々愛されてなかったの?」っていう恐怖に共感したんです。がんを公表したりして子どもたちがかわいそうって私は非難も受けました。でも子どもたちはどんなオカンも大好きやでみたいに言ってくれて感謝してるんですけど。「がんだなんて人に話したら、子どもさんの結婚に響くよ」と か言われたり。でもうちの子どもは、「そんな男と結婚しいひんから。こっちがお断り」とか言ってくれる強い子ですけど。

岸田 お子さんの今のご年齢は?

谷本 高校2年生、中学2年生、小学2年生です。男の子、女の子、男の子です。

岸田 そうなんですね。今はその3名のお子さんを1人で?

谷本 いえいえいえ、じつは私、この5月に、夫が子どもたちや両親に、「今日からお父さんとお母さんは事実離婚。有佳子は新しいパートナーとの事実婚とする」って宣言してくれたことで、夫と男女としてのパートナーシップは解消して、現在夫と私は子どもたちの意見を最優先に、子どもたちの父親、母親として協力体制を組んで、ちょっとビジネスチックに協力する態勢を組んでるんですよ。子育てを優先することを条件に、私は別のパートナーとの人生を歩みはじめてるところなんです。現在は今までどおり子どもがいる時間は子どもと一緒に今までの家で過ごしています。 お休みは、今日みたいに私1人でここに来させてもらってますけど、1か月のうちの休みを2人で出して、何日はどっちが面倒見る? みたいなシフトチックに。 変わらず主人が家庭のために働いてますし、私も子どもたちの父親の世話もしますしっていう感じですけど。

岸田 じゃあ今は新しいパートナーさんと、ご一緒にされてるっていった形ですね。ところで、自分ががんだっていうことを子どもたちにはいつ打ち明けたんですか?

谷本 始めのときです。全然知らないし、がんのことなんて、ポカーンってしてました。でも親戚もみんながんで亡くなってるので、ちょっとは分かってたかもしれないです。 子どもたちはすごく大人でね、今のパートナーシップのこととかも、自分の気持ちよりも遥かに子どもたちが後押ししてくれたんですよ。「幸せになれ!」「安らぎの場所に行け!」みたいな感じで子どもたちがね。

岸田 いや、家族、本当大切ですよね。

【夢】

谷本 複雑な家庭環境すぎて、いろんな経験をしながら命を生かせてもらってるので、個人としての夢とか得たいものとか、全然ないんですよ。それよりも常に目の前に今あるものとか起きていることとか、「いろんなことがあってええやん」 「いろんなアイデアがあってええやん」 ってすべてを受け入れて。自分と周りの人の表現として起きること、泣いたり、怒ったり、笑ったり、ケンカしたりとかも含めて、命の終末まで全体のひとかけらであるっていう自分の命を楽しみたい。でもそれってできるようでなかなかできなくて。いちばん贅沢なことなんじゃないかなって最近思ってます。

岸田 当たり前なんですけど、今あることに本当に全力投球していくって、今一瞬一瞬大切で、今を生きていかないといけないんだなって、思いました。もうちょっと先のビジョンを僕は描いてたんですよね。 このために今苦しくても頑張るって思ってましたけど、その先じゃなくて今をちゃんと楽しんで、いろんな人とのご縁があったりだとか、いろんなところに行ったりだとかってできるのも今しかないんだなっていうこともあるんですね。

谷本 そうですよね、今が大事ですよね。

【今、闘病中のあなたへ】

谷本 「自分自身を愛することを恐れないで」。きっといちばん私が怖かったことっていうのは、がんそのものよりも自分自身が蓋をして見ようとしなかった自分の本音を直視することだったと思うんです。私、本音の感情というのを現在のパートナーから指摘されて、ほじくりだされたんですね。

岸田 おー、良いパートナー。

谷本 泣いていいよ、できないって言っていいよ、もう頑張らなくていいよ、怒っていいよって。当時もうパートナーには見透かされてるようで、霊能者みたいで怖くて。

岸田 霊能者。

谷本 腹が立って、「おまえに何がわかんねん!」みたいな。「消えろ!」とか、「失せろ!」とか、そんなこと言ったことないのに、言ってしまうぐらい。自分自身や病気に向き合えば向き合うほどね、自分が醜く見えて死にたくなったんですよ。でも再発の恐れとか、がんになった自分が醜くなっていくように感じてしまうことからあえて目を反らさず、無理してポジティブを演じるのではなくて、苦しさとか恐れとか怒りとか嫉妬とか自己否定とか孤独感とか罪悪感とか、それらの溢れる感情をただあるがままにちゃんと感じてぶつけたときに、パートナーから「それでいいよ、そう感じることは自然だよ」って言ってもらって、私は苦しみから徐々に解放されたんですね。その方法を教えてくれたのはパートナーやけど、私は自分自身で自分を許してあげるっていう大きな壁をぶち壊すことができなかった。だからもうすごい自分の殻にこもってたし、もともと自分は失格だって思ってるし。

勇気を出して、世間の常識でもない他人の評価でもないマスコミの情報でもない自分自身の声を聞いて、自分を許せたとき何もかもが大丈夫だって安心に包まれたんです。世の中には本当はたくさんの安心の扉があって、でも扉を開けることができるのはたぶん自分しかいないと思うんですよ。まずどんな嫌な自分自身も、起きている嫌な出来事とかも、ちゃんと感じて、嫌だって感じることの先に、じつは治療法とか主治医との付き合い方とか、暮らしにまつわることとか、自分の本当に歩みたい道しるべが見えてくると思うんです。だから自分を信じて愛してほしいし、自分で自分を愛せないときには絶対に見えなかった扉っていうのがあるような気がするんです。私の場合はそのプロセスを越えて初めて、自分への正当な厳しさとか、冷静さがようやく芽生えて、立ち向かうっていう言葉が本当に意味を持つようになって、自分自身にしっくりくるようになってきたし。がんの私もダメな私も、どっちも丸ごと愛せるようになりました。

岸田 その思いが自分自身を愛することを恐れないでっていう言葉に込められてるってことですよね?

谷本 はい。今のありのままを。どんなに、醜くても許してあげられるの自分しかいないと思うし、きっと醜くない。すべての命はそのままで美しいって私は思ってます。

※1 リレー・フォー・ライフ……地域全体でがんと向き合い、がん征圧をめざすチャリティー活動。会場ではチームの仲間とタスキをつなぎ、夜通し歩く。

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