インタビュアー:岸田 / ゲスト:長谷川

【発覚・告知】

岸田 自己紹介をお願いします。

長谷川 長谷川一男といいます。 44歳で、 妻がいて、子どもが2人います。がんは肺がんの、腺がんというがんです。肺がんの中でいちばん多い、メジャーなタイプ。ステージは4で、わかったのは2010年で、ちょうど今から5年くらい前ですね。いろいろ治療して、今も治療している、そういう状況です。

岸田 ありがとうございます。ではまず発見されたときの状況を教えてください。

長谷川 そのときは、たぶん人生の中でいちばん酷いと思われる咳が出てきて。これは風邪じゃないよねっていう感じの咳が出て、そのあとに、僕の場合は右首のあたりが腫れてきたんです。これはおかしいということで、地元の開業医さんのところに行って、抗生物質をもらったりして治療を受けたんだけど、全然違うよねってことで。夜中の救急で大きい病院に駆け込んで、そこでCTを撮ったら、 丸い形のがうわーって写っていて。がんですね、みたいな。そういう経緯ですね。

岸田 じゃあ救急病院に駆け込んで、すぐわかったわけじゃないですか。そこから、すぐその病院で治療っていうことになったんですか?

長谷川 まずね、あっこれ、想像なんですけど。

岸田 はい、想像入ります。

長谷川 がんって言わないんだよね、「これはもしかしたら重い病気かもしれ ないので、もっと検査しましょう」って言うんです。たぶん、確定診断がつくまでは、がんと言わない。でもこっちは、 「これがんじゃねえの」っていうのがプンプン匂ってくる。僕は仕事柄、すごい知りたがりなんですよ。そういうときに、わからないままずっといるという状況が、いちばん嫌いなんです。で、この主治医は言わないなと思ったから、そこで、言わせないといけないと思って。

岸田 職人魂というか(笑)。

長谷川 「あのー、これ、どこをどう見てもがんですよね」ってひとこと言ったら、「そうですね」と言われて。だからその場でわかったんです。でも、確定診断はついてないし、それに、首が腫れてて熱も40度近く出てるので、そのまま即入院しました。1週間くらい経って、やっぱりがんでしたと言われて。それで治療に入った感じです。

岸田 あの、さっき職業柄知りたがりっておっしゃってましたけど、ご職業は何ですか?

長谷川 一応、テレビのディレクターをしています。治療中だから全然できてないですけど。緩やかに。

岸田 そこは仕事のところで触れたいと思います。じゃあ、治療をやっていくことになったと思うんですけれど、全部同じ病院でされたんですか? 救急で運ばれたじゃないですか。

長谷川 その病院で治療しましたね。

岸田 他の所に行こうかっていうのは思わなかったんですか?

長谷川 確定診断が出る前に、大きな病院には行きました。そしたらね、断られちゃった。確定診断は出てないけど、どこをどう見てもがんだよね、という話を先生がしてくれて。しかもステージ4で転移もしていて、そういう状況だから。 大きな病院でやる治療と、地元の病院でやる治療は、基本的には同じになるわけです。そのとき僕の場合は、たぶん、もう状態が悪いから、地元の病院で治療したほうがストレスがないんじゃないかっていうことで……。それで、「この病院だと今、大部屋に入るのに1か月かかりますよ、どうしますか?」って言われて。それで地元の病院に戻って、治療を始めました。

岸田 そうなんですか。告知を受けたとき、へこまなかったですか? 病理の結果が出て、ステージ4ですってなったときとか。

長谷川 たぶんね、そのとき、思考能力が通常の5分の1くらいだったんじゃないかな。肺がんで悪くなるとね、寝れないの。横になれないから、座って寝るの。あと斜めとか。そのときは、熱がある、 首が腫れてる、咳は出る、がんだって言われてる、しかも寝れない、っていうので、極度の緊張状態にあって。がんだって、ステージ4だって言われても、きちんと入ってこない。あ、そういうもんなのかなーみたいな。緊張していて目はすごく冴えてるんだけど、一歩も前に進まないような。発覚したときはそんな感じだったな。それで、もうちょっと話を進めると。

岸田 はい。どんどん進めちゃってください。

長谷川 結局、発覚して、そういう考えられない状況なんだけど、どうするかってことになるじゃないですか。僕は、大きな病院の医者も含めて、主治医と、あともう1人セカンドオピニオンで計3人に話を聞いてるんですよ。そしたら、病気の症状に関しては全員同じなんです。腺がんで、ステージ4で、余命はだいたい10か月っていうことなんですけど。だいたいそんなもんなんです。で、大きな病院の先生に言われて覚えているのは、「長谷川さん、本当に一日一日を大切に生きてほしいんです。そういう病気ですよ」と。涙目で言ってくれるんです。後ろで研修医が、ペンを回してましたけれども(笑)。そういう細かいことは覚えてますよね、関係ないんだけど。

岸田 そうなんですよね(笑)。

長谷川 お医者さんが、涙目で本気で言ってくれているのが伝わってくるから。 「そうですね」というしかないですよね。 それから、標準治療じゃない先生のところに、セカンドオピニオンで行ったんです。そこで、僕が診察室に入ると、今までの対応とはまったく違うんです。まず、僕の足元から顔まで、見るんですよね。 それで座って、最初の一言が「長谷川さんは、子どもがいるのかな」って聞くんです。妻も一緒にいたんですけど、それを聞いた瞬間、妻は泣きはじめますよね。 その先生が言うには、「人にはね、役割って、やっぱりあるんだよね」って。「長谷川さんの場合は子どもがいて、それを育てるという使命があるよね、役割があるでしょ。だから、闘わないといけないんじゃない? 闘いなさい」って言うんですよ。僕は、大きな病院の先生から言われたことは、ああそうだなと受け止めてはいたんですけど「闘いなさい」って言われたときに「あー、闘っていいんだ」と。闘うということが、今までは 選択肢の中になかったんだけど、闘うことも選択肢の中にあって、それを選んでいいんだな、そう思って。僕はね、闘う姿勢に変わっていくんですよ。がらりと変わっていくんです。がんが発見されて、受け入れるというか、まあそうだなと思っていたところが、闘うというところにガッと、変わっていく。そんな感じでしたね。

【治療】

岸田 そのあとの治療はどういうふうに進んでいったんですか?

長谷川 基本的には肺がんのステージ4というのは、薬しかないんですね。

岸田 ステージ4といったら、どんな感じなんですか、肺がんの場合は。

長谷川 基本的には、転移があるということなんです。転移があったらステージ 4。転移がどこだろうが1個あれば、もう見えないがんが全身に散らばっている。 全身に広がってるので、局所の治療は意味がないですよね、ということで、放射線治療と手術は適用外になってしまう。残りは薬の治療です。薬は全身に効くので、ってことで薬が始まります。

岸田 その薬は、差し支えなければ、どういったもので、どれくらいやられたんですか?

長谷川 アリムタという薬と、シスプラチンという抗がん剤を。

岸田 シスプラチンわかりますよ。僕もシスプラチンでした。

長谷川 副作用の王様みたいなやつ。

岸田 腎不全にもなりやすいし。 吐き気マックスですし。どれくらいやったんですか?

長谷川 えーとね、半年くらい。半年しか効かなかったですね。

岸田 えっ、効かなかった。どういうことですか ?

長谷川 僕は余命が10か月と言われていたんです。基本的には治らないっていうことですよね。だから、いっぱいある薬の中でいちばん強い薬をやりました。効かなくなりました。次の薬をやります。効かなくなりました。で、そのあともう1回か何回かやると、余命が来るっていう。

岸田 あー、そういう感じなんですね。 それを半年やって、そのあとは?

長谷川 薬で言うと今、5種類目ぐらい ……さっきみたいに2剤を、2つの薬を組み合わせたりするから、これを1つとすると、僕は今5個目ぐらいの薬になっていて。いちばん長く効いたのが今のこの半年のやつじゃないですかね。

岸田 えっ!?

長谷川 あとのはね、半年ぐらい効いたやつもあるけど、3か月とか、そもそも効かないってやつもある。1か月後に検査したら大きくなっていて、というのもあります。そうすると、5つやってて…。なんか僕、5年くらい一応生きてるんですけど。

岸田 5年、一応ね(笑)。

長谷川 これ、つじつまが合わないじゃないですか。

岸田 そうなんです、そうなんですよ。

長谷川 つじつまが合わないのは、じつ はそこに放射線治療とか、手術を入れているからなんですよね。

岸田 合間合間に?

長谷川 そう、合間合間に。それで生き延びてる。

岸田 え? だけど放射線治療は効かないって言われたじゃないですか?

長谷川 これはね、効かないというか、 やっても意味がない。だから抗がん剤をやりました。僕は腺がんというタイプで、 薬は半年ぐらい効くというのが普通。そういうのを2つ3つやったら終わるっていう、基本はそういう感じなんだけど。 さっきの、闘いなさいって言った先生が教えてくれたのが「もし良くなったら、放射線やってもいいんじゃない」って。 僕、転移がいっぱいあるんだけど、その転移が画像上は消えて、仮に、そういう状態になったとしたら、放射線を打ってもいいんじゃない、みたいなことを言わ れて。最初に薬が6か月効いたって言いましたけど、その6か月の間に、腫瘍のでかいやつが、ギューッて小さくなって。 そうしていちばん小さくなったときに、放射線をしました。

岸田 そういう感じなんですね。だから、 抗がん剤と抗がん剤の間もちょっと空く。 外科的手術は?

長谷川 しました。結局、放射線を入れても効かなくてまた出てきちゃう、というのを2回くらい繰り返して。 手術も基本的にはダメなんだけど、小さい状態であればやってもいいよ、っていう病院があって、そこに訪ねていってお願いしました。だから僕は今、肺が半分ないんですね。

岸田 あ、そうなんですか。

長谷川 はい。右側がないんです。その ……ここ2階じゃないですか。1階から2階に上がるまでも、ハアハアしちゃうみたいな、そんな感じです。

岸田 そうなんですか。ということは現在も進行形で闘病しながら来てくださっているというわけですね。

長谷川 そうですね。

岸田 10か月しか持たないというところから、今もう5年以上生きてるわけですよね。あまりそういう人って多くはないですよね?

長谷川 肺がんって、今、遺伝子の研究が進んでて、イレッサとか、聞いたことないですか。

岸田 聞いたことあります、はい。

長谷川 そういうのが使える人は、1年とかじゃなくて、2年とか3年とか、いらっしゃるんですよ。僕はそういうのに当てはまらないタイプだったので、積極的に、薬が効いたいいときに、放射線なり別の治療を入れて、なんとか延ばしてきた。そんな感じですね。

 

 

 

【家族】

岸田 では、長谷川さんの、家族のこと。家族のサポートとか、カミングアウトとか、そういったところをおうかがいできればなと。

長谷川 カミングアウトでいうと、妻は 「これ、がんでしょ」って僕が聞いたときに横にいたので、もう聞いてますね。

岸田 ああ、一緒に行ったんですね。

長谷川 確定診断が出たあとも、腺がんの中でもイレッサが効くタイプと効かないタイプがあって、それかどうかというときとか、節目節目がありますけど、そういうときは基本的には一緒にいてくれて。サポートはすごいありましたよ。単純に言うとね、妻は、感情がね、すごい激しいタイプなんですけど。

岸田 (笑)。すいません。笑ってしまいましたよ、もう。

長谷川 あ、なんかいい言葉じゃないですね(笑)、あの……感情が豊か。

岸田 感情が豊か。

長谷川 つまり、僕と一緒に診察を受けていると、僕より反応するんですよ。何か悪いことを言われれば泣いてくれるし、医者が変なことを言えば、怒ってくれるし。そういう人が身近にいるというのは、なにものにも代えがたいというか。

岸田 そうですよね。あの、奥様もお仕事されている?

長谷川 してます。一応ね、パートかな。家のこともできて、仕事もできるみたいなのを選んでやっております、今はね。

岸田 肺がんになったことで、家族の輪がギュッとなったとかっていうのはある んですか?

長谷川 うーん、あんまり感じないな(笑)。普通でしたね、普通にこう淡々と。子どもがね、発見されたときは幼稚園の年長と、小学2年生だったんです。だから、何事もなく生活が進んでいくことがいちばん良しっていうふうに、僕も妻も、一緒に住んでる義理の父と母も。僕はマスオさん状態なんですけど、そういう家族で住んでいて、その中で重病人は出たけど、いちばんいいのは滞りなく日常生活が進むこと、みたいな感じかな。

岸田 いやあ、普通に過ごすのがいちばん大変ですからね。

【仕事】

岸田 治療を受けてらっしゃったときに、お仕事をどうされたのかっていうのを。

長谷川 僕はフリーで仕事をしてたので、首が腫れてぶっ倒れるみたいな状況から、 仕事はそれ以降してないんですね、仕事ができなくなるんです。そこで切れて、お金も入ってこなくなる。会社員じゃないから。仕事に復帰するのは、去年の年末だから、だいたい5年間くらいは仕事してない状況が続いて、やっと復帰した みたいな。

岸田 えっ、生きてけるんですか?

長谷川 お金ってことですよね。

岸田 そうです。普通に5年間、仕事がなかったら……。

長谷川 そうだね、お金はやっぱりいちばん考えるじゃないですか。最初は、お金会議を妻とするんですよ。お金会議、大切でしょ。

岸田 大切、すごい大切です。

長谷川 そのときにね、「貯金はあなたの治療費には使いませんからね」って言われて。

岸田 かっこいいなあ(笑)。

長谷川 つまり、貯金は子どもの学費。 未来のことに使いますよってことで。あなたの病気にはびた一文たりとも使いませんよって言われて。あっ、これ、厳しいなとか思いながら(笑)。

岸田 厳しい(笑)。

長谷川 まあ、それは僕も納得するんです。そのとおりだなと。じゃあそのとき にどうするかっていうと、フリーだから定期的にお金が入ってこなくて、ボン、 ボンと入ってくるんですよね。がんが発見されたのは冬なんですけど、たまたま秋に働いたお金が、ちょうどボンと入ってきたので、それが300万円くらいだったのかな。それだと「1年間これで」とか言えるでしょ。あと、親からの援助があって、あとは友人からのカンパ。ステージ4で余命も告知されたから、隠すとか隠さないとかいう場合じゃなくて。 こういう状態だということを正直に話すと、みなさんが動いてくださって、カンパとか、千羽鶴も2つぐらいある。すごいでしょ(笑)。笑い事じゃないんだけどね。

岸田 いやいや、すごいですね。

長谷川 お金のことで言うと、あと、がん保険。がん保険に入っていて、それで 仕事に復帰するまでのところはつないできました。もちろん、仕事に復帰したと言ったけれども、全然できてなくて。もともとフリーで会社員じゃないから、復帰してもフリーなのね。だから、1本いくらというところでやっていて。昔は1本2本3本と同時進行で、何本も何本も抱えてやるんだけど。

岸田 あ、そういう業界なんですね。

長谷川 そういうのが普通のやり方なん だけど、できないので、1つしかやらな い。緩やかに、体調を見ながらやっていって、そんな感じですかね。仕事は。

【辛いこと・克服】

岸田 精神的につらかったときとか身体的につらかったときに、どういうふうに乗り越えてこられたかというのを。

長谷川 身体的には、今、僕、薬やってますけど、だるさが出るんですよね。それが点滴じゃなくて毎日の飲み薬だから、 毎日だるいんですよ。点滴だとつらい時期に山があってそのあと下がる感じ。そうじゃなくて今は延々と副作用が続くので、これはつらいなあ、とは思いますね。 だから克服できてない。もちろん点滴の抗がん剤も、5年間で5パターンやっていて、副作用がそれぞれあって、どれもつらかったですね。どれもつらいから、 つらかったねって言うくらい(笑)。しようがないという感じで今もいる。精神的なことで言うと、病気のことじゃなくて、仕事のことになるんですけど。

岸田 はい。

長谷川 自分が自分じゃなくなっていくという経験をしてるんです。最初に仕事をしたいなと思いはじめたのは4年くらい経ったときで、この状態だったら仕事ができるなと思って、仕事を探そうとしたんですね。僕、肺で内部障害があるので、障害者手帳を持って、障害者雇用の枠で職探しをするんですけど。そのとき僕、手術の合併症とかがあって、週5で通院してたので、働けるのが1日のうち3、4時間、しかも毎日やると倒れちゃうから、週3日くらいとかそんな感じの条件で探すと、月のお給料が5万円ぐらいになるんです。それを突き付けられたときに、一生懸命やっても自分が5万円の値打ちしかないということに耐えられなかったですね。それから、障害者の合同説明会みたいなのがあって行ったんで すけど、自分は働きたいと思っていても、グッと止まってしまう。ステージ4で、週5で通院してて、具合が悪くなったら休みますよ、しかもこのあとどうなっちゃうかもわかりませんよ、みたいな人を雇うわけないだろうなあというのがあって、せっかく行ったのに、帰っちゃう。でも、なんとかしなきゃいけないと思ってて、もしかしたらサラリーマンになろうとしているからつらいのかもしれない、自分で起業したらいいんじゃないかとい 、馬鹿な考えを持ちはじめて。NPOの塾みたいのが無料であったので、そこに行ったんですよ。

そしたら、今度は何が起こったかというと、「俺は昔、テレビのディレクターやってたんだよね」って、聞かれもしないのに言うんです。過去の栄光にすがるじゃないですけど、そういうことを言ってる自分に遭遇するんです。結局、通院とか具合が悪くてなかなか仕事ができないという状況を全然認めてなくて、俺はあのときこうだったみたいなことを、延々言ってる。なんかこう、かっこ悪いでしょ? そんなふうになってることに気付いたときには、落ち込んだというか、すごいつらかったです ね。自分で思い描いている自分と、現実の自分が違うことが、もう耐えられなくて。 それで強引に、これは仕事しないといけない、もう、何がなんでも仕事するってことで、5年目のときに、元の仕事に復帰しました。やってみたら、5年前、 病気になる前に仕事をしてた自分がそこにいるんです。39歳で病気になったんですけど、そのときの自分がそのまま現れて、あっ、俺はこうだったか、というのを思い出して、まあ、今に至るみたいな。 つらかったのはそんな感じです。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 闘病していらっしゃる同志に向けて一言お願いします。

長谷川 はい。みんな大切にしてる言葉とか、好きな言葉とかあるじゃないです か。がん患者って、たぶん年齢とか、病気の種類とかで、好きな言葉って変わってくるような気がするんです。世代や、 進行した人と、早期の人と、全部違っていて。本当にそのときどきの状況で違うので、その状況に応じた、自分の心にグッとくる言葉を探してほしいですね。たまたま僕が、今、バシッとくるのはこの言葉ですかね。がんは自分がどう生きるかと、あまり関係がない。

岸田 関係ない……ですか。

長谷川 うん、そりゃあ、身体的につらくて仕事できないとか、いろいろあるんだけど。あんまり関係ないなって、こうして仕事に復帰して思いました。自分が何をやりたいとか、こうやりたいとか、 やればいいだけの話で。がんで物理的にできないこともあるんだけど、関係はない。これ、なんかピタッときますよ。

岸田 今の自分にピッタリくる。

長谷川 きますね、これね。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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