インタビュアー:岸田 / ゲスト:伊藤

【発覚・告知】

岸田 今日のゲストは伊藤純奈さんです。自己紹介をお願いいたします。

伊藤 伊藤純奈です。今日は和歌山から来ています。私は2014年にがんが発覚して、左胸のがんでした。クラスはⅢ、グレードは3cでした。今はホルモン治療をしています。注射と内服と。

岸田 ありがとうございます。まず純奈さんの発覚から告知について、どうやって胸にしこりが見つかって、どういうふうに告知を受けたのかをご説明いただけますか。

伊藤 私がちょっとおかしいなと思ったのは2014年の8月の末ですね。そのときは、気分を変えようと思って新しい下着を着けたときに、硬いものがあって。お姉ちゃんに連絡したら検査したほうがいいよと言われて、職場の人と相談して検査を受けることになりました。そのときはそんなに深く考えていなかったんですけど、検査を受けた後、写真を見て「ちょっと悪性かな」と言った先生の言葉を聞いて、今の病院に紹介されて。気持ちが付いていかないまま進んでましたね。

岸田 「気持ちが付いていかなかった」ということですけれども、そのときの気持ちってどうでした?

伊藤 まさかっていうのが頭の中にあって、でも、切ったら治るだろうなっていうぐらいの気持ちでした。その後、調べていくうちにだんだん違うことがわかってきて、その状況を把握するのに時間がかかりました。私の場合は、治療しているときも、まだ気持ちが付いていってない部分がありましたね。

岸田 がんが見つかったあと、病院はどうしたんですか。

伊藤 最初は職場の近くのクリニックで診てもらっていて、検査だけだったんですけど、手術はしてないところだったので、知り合いのお医者さんのいる所に紹介しますっていうことで紹介されました。

岸田 紹介されるときって、どこの病院がいいとか希望はあったんですか。

伊藤 ありました。通いやすい所とかも考えましたし、友達にも相談しました。全部が初めてのことだから全く情報はないし。でも、結局、紹介された所にしました。

岸田 純奈さん、ご職業が薬剤師ということで、つてとかはなかったんですか。

伊藤 ありませんでした。あそこは症例が多いから安心だよとか、そういう情報だけですね。

岸田 それで紹介してもらった病院が、通いやすくもあったと。

伊藤 通いやすくはなかったけど。安心かなって。

岸田 そこに行って、検査を受けていくわけですよね。

伊藤 そうです。検査が長くて、8月末に分かったのに10月の中旬ぐらいまでずっと検査をしていました。

岸田 例えば、何の検査をしたんですか。

伊藤 MRIとPET-CTと骨シンチと、あとはマンモグラフィーとマンモトームとエコーと。

岸田 自分の中では、検査の内容も分かってる感じですよね。

伊藤 分かってました。紹介される前の病院で、写真を撮ってきてたんですよ。その写真を見て、悪性の可能性が強いっていう結果が出ていたので、調べるのはどんながんなのか、どんな顔つきのがんなのかっていう、そういう検査でした。

岸田 それで、さっき言ってくれたように、自分の頭の整理がつかないまま、そこから治療に入っていく感じですね。

 

 

【治療】

岸田 治療のことをお聞きしたいんですけれど、乳がんにもいろんなタイプがあるじゃないですか。純奈さんの場合はどんなタイプだったんですか。

伊藤 乳がんのホルモン受容体陽性で、HER2がマイナスですね。

岸田 2014年11月化学療法スタートという形ですね。このときは化学療法をしましょうって先生から言われたんですか。

伊藤 はい、言われました。化学療法をして、その後手術して、その後放射線でいきましょうという流れを聞いて、決めていました。

岸田 純奈さんは3cだと思うんですけれども、3cってどれぐらいですか。転移はどうだったんですか。

伊藤 転移は脇の下と、鎖骨まで転移していた状態です。

岸田 そうなんですね。転移していて、化学療法をしましょうということになって。これは何ですか?CEF。

伊藤 CEFは、三種混合の化学療法です。

岸田 CEFとドセタキセルを行ったと。この化学療法8クールって何カ月ぐらいしたんですか?

伊藤 11月から4月まで半年間。

岸田 それで、奏効したんですかね?

伊藤 それがなかなか、小さくならない状態で。先生が言うには、密度は下がってスポンジみたいになったけど、大きさ自体はそんなに変わらなかったな、みたいに言われました。

岸田 ちょっと微妙だったんですね。結構ショックじゃないです?抗がん剤って効いてくれるもんだと信じてやるわけじゃないですか。

伊藤 そうですね。頑張ったのになあ、みたいな。

岸田 その後、2015年5月に全摘手術。左乳房全摘手術を受けたと。この手術は元から予定されていて。手術の前とかって、結構、緊張しませんでした?

伊藤 緊張してましたよ。寝れなかったです。

岸田 そのとき、覚えてるエピソードとかあります?

伊藤 自分で手術台に上がるんだなって思いましたね。

岸田 そう。これ、結構、皆さん分からないところかもしれないですけど。

伊藤 まじで?と思いましたもん。

岸田 車いすに座ったりとか、横になって手術室って運ばれるイメージがありますよね。実際は看護師の人が横にいて、自分で歩いて手術室に行って、手術室の台に自分で登って、横になって。

伊藤 どうぞ、みたいな感じで。麻酔も痛かったですね。痛いって思いながら、気付いたら寝てました。起きたときは管みたいなのが入ってて。

岸田 人工呼吸器的な?

伊藤 それを意識がある状態で、起こしてからずるずるって抜くらしくて、息の仕方が分からなかったんです、一瞬。それは覚えてます。

岸田 手術を終え、そこから放射線治療。2015年7月から8月、放射線50グレイとありますけれども、具体的にどういうふうにやったんですか。

伊藤 仕事をしてたんですけど、放射線を当てる時間を大体決めてあって。私の場合は午後3時ぐらいから予約が入ってて、朝のうち仕事をして3時ぐらいに病院に行って、放射線を当てて、帰る。

岸田 仕事をしながらやってたんですね。放射線って、当てた後って結構しんどくならないんですか。

伊藤 しんどかったです。目眩が結構ありましたね。あとは、皮膚の剥離っていうか、べろべろって、日焼けみたいな感じに。

岸田 当てた所が日焼けみたいになって、それで皮がむけてくると。

伊藤 皮がむけるのは50グレイ終わった後ですけど。

岸田 それで1カ月かけて放射線を当て、そこからホルモン治療に入ってくるという形ですね。ホルモン治療は、今、どんなことしてるんですか。

伊藤 内服と注射です。3カ月に1回の注射。

岸田 3カ月に1回の注射と毎日飲むお薬。ホルモン治療って5年から10年になったんですよね。

伊藤 そうですね。まだ2年生です。

岸田 あと8年間。飲み忘れとかしないんですか。

伊藤 私、薬剤師で言うのもなんなんですけど、忘れることはあります。いつも朝飲むんだけど、忘れて昼ぐらいに飲むときもあります。

岸田 よかった。薬剤師さんでそういう人がいたら安心できます。治療中のときの写真がこちらになります。

 

 

伊藤 父と私です。これぐらいしか写真が残ってなくて申し訳ないんですけど、放射線が終わったぐらいかな。8月の中ぐらいに実家に帰ってたときの写真。髪もだいぶ伸びて。化学治療の途中からもう伸び始めてて。

岸田 髪の毛、質は変わりました?

伊藤 変わりました。うねるし、ちょっと細くて、ふわふわみたいな。

岸田 今も変わったままですか?

伊藤 今も変わったままです。でも、ストレートパーマは1回かけました。これよりも、もうちょっと伸びたぐらいでかけて。11月ぐらいには、もうかつらを取って生活してました。

岸田 そうなんですね。かつらはどのくらい買ったんですか。

伊藤 5、6個ぐらいあったのかな。結構遊んでました。

岸田 ラインナップ的にはどんなのを買ったんですか。

伊藤 最終的には通販で1万円以下の、7000円とか、それぐらいのファッション用ウィッグ。最初は医療用ウィッグを買ってたんですけど。

岸田 最初買ったのはどれぐらいしました?

伊藤 私は8万円ぐらい。

岸田 最終的に、通販の1万円以下のやつでよかったって感じ?

伊藤 そうですね。雑に扱える。

岸田 だんだん扱いが雑になってくるよね。手入れとかは?

伊藤 手入れはしてましたよ。ちょっとといて、洗って。柔軟剤を使ったらいいって聞いたので、柔軟剤とかも使って。めっちゃからまるので、柔軟剤でさらさらにできるみたいですね。

岸田 勉強になります。純奈さんの場合、全摘されてますが、再建の予定は?

伊藤 まだ考えてないです。

岸田 今、やろうと思ったらできるの?

伊藤 そうですね。先生にも、どう考えてるのかっていうのは聞かれてるんですけど、特にしなくても大丈夫かな。あったほうがいいですか?

岸田 ありのままで素晴らしいと思います。

【家族】

岸田 純奈さんが治療を受けてたのは東京で、ご家族は?

伊藤 父と母が和歌山にいて、兄は大阪で、姉は東京にいました。

岸田 家族とのコミュニケーションとか、サポートしてもらえたのか、それとも、こうしてほしかったなとかありますか。

伊藤 もともとそんなに仲の悪い家族じゃないんで。姉も近くに住んでいたので、ときどき遊びにも行かせてもらってて。一番末っ子で、かわいがってもらってました。

岸田 発覚したときも、お姉さんにまず相談したんですよね。

伊藤 そうです。

岸田 入院したときはどうでした?

伊藤 姉の家に父母が泊まって、たまに来るみたいな感じですね。でも、私は10日ぐらいしか入院してなかったんで。そんなに頻繁に来られてもしんどいし。

岸田 難しいですよね。毎日ずっといられても、自分の時間も欲しいし。かといって、洗濯物たまってきたらやってほしいし、みたいな。どれぐらいの頻度で来てほしかったとかあります?

伊藤 毎日来るにしても、滞在は短くていいよって感じですね。

岸田 ですよね。ありがとうございます。純奈さんのご家族はすごくサポートしてくださったと。

【恋愛】

岸田 次、目玉のところですね。純奈さんの恋愛事情。当時、入院してた頃とか発覚したときは、彼氏さんはいらっしゃいましたか。

伊藤 いました。

岸田 じゃあ、がんになったことが分かって、その彼氏さんに言わないといけないわけじゃないですか。どう伝えました?

伊藤 言うのにすごい時間がかかって、1カ月ぐらいかかっちゃったんです。

岸田 発覚してから?

伊藤 そうですね。何て言ったらいいのか分からなくて。付き合ってまだ1カ月ぐらいだったんです。発覚というか、ちょっとおかしいと思ったのも、付き合い始めた同じ月ぐらいだったから。なので、仕事終わりに、「言いたいことがあるんですけど」って呼び出して、朝までちょっと飲んで、そのときに言った。「こんな飲んでるけどね」みたいな。

岸田 もう、酔ってないと言えねえ、みたいな。

伊藤 結構酔いは冷めてた。言うタイミングがなくて、すぐ言わなきゃ、って思ってたんですけど、結局、言えずに朝になっちゃって。

岸田 言ってからの相手の反応ってどうでした?

伊藤 「一緒に頑張ろう」って言ってくれました。

岸田 そうなんですね。じゃあ、そこから一緒に闘病できた。

伊藤 手術まで、一緒に闘病してくれた。

岸田 超意味深。手術まで一緒に。

伊藤 本当にしんどかったと思う。私より。

岸田 発覚して、抗がん剤治療して、闘病してくれたと。けど、いろいろあったんでしょうね。

伊藤 そうですね。でも、彼が言ったのは、私ががんになったから別れるんじゃない。もともと合わなかったから。「合わなかったんだよ」って言われました。

岸田 じゃあ、今は?

伊藤 絶賛婚活中でございます。

岸田 今後、彼氏さんとかできるときには自分からがんのことを言う?

伊藤 言います。

岸田 もう今はホルモン治療中だから、大きな山は越えてるわけですしね。純奈さん、今、絶賛募集中ですので、いいご縁があればと思います。

【仕事】

岸田 今のお仕事を簡単にご説明していただいて、当時、発覚してからどうやって仕事と折り合いをつけたのかっていうのをお聞きしたいと思います。

伊藤 手術とか治療をしていたときは、ドラッグストア併設の調剤薬局で働いていました。何かあったときは、社長に直接相談するような。社長の下が従業員みたいな感じだったんで、上司が社長なんですよ。

岸田 どういうふうに切り出したんですか。

伊藤 まず、検査に行ったクリニックを勧めてくれたのが社長だったんです。棚卸の日だったんですけど、「ちょっと、胸が硬いんです」って言ったら、「他の人が頑張って数えるから行ってきなよ」と言ってもらって、行かせてもらいました。

岸田 最初から社長も周りも知ってる状態で。そこから治療に入っていくわけですが、お休みはどういう形でとられたんですか。

伊藤 4週間に1回の化学治療だったんですけど、金曜日に組んでもらって、その日は休ませてもらって。土日休んで、月曜日からまた働く感じでやらせてもらってました。最初はどうなるか分からないから、もし、しんどいことがあったら、また相談してっていうことで。

岸田 じゃあ、抗がん剤治療しながら、休んで普通に働けてた。

伊藤 働けてました。検査のときも、その日は休ませてもらって、仕事は他の人にもサポートしてもらってました。本当に社長と会社のみんなのおかげです、仕事を続けながら治療できたのは。

岸田 その後、全摘手術のところはどうでした?

伊藤 全摘手術して退院した2日後に働いてました。

岸田 まじで?

伊藤 土曜日に退院して月曜日に働いてました。

岸田 ちょっと待って。全摘手術して、10日間入院。大丈夫なんですか。

伊藤 やっぱり違和感はあったんですけど。ちょっと動かしづらいのはあるけど、完全に動かないとかじゃないから。特に薬剤師の仕事は薬を調合して、できましたって言いに行く感じの仕事なんで、そんなに私には負担にはならなかったんです。

岸田 体力が落ちたりとかは大丈夫だった?

伊藤 ドラッグストアだったので、重いものを持たなきゃいけないこともあるんですけど、それは「できません」って言ってやってもらってました。体力はもともとないです。

岸田 じゃあその後、放射線治療のときも。

伊藤 放射線治療が一番しんどかったですね。私は目眩がしんどかったです。

岸田 このときも仕事と折り合いよくやれてんたんですね。

伊藤 そうですね。仕事をしてないと、多分、気持ちが保てなかったと思います。

岸田 その後、その会社を辞められたんですか。

伊藤 そうです。和歌山に帰ると決めて、その会社の店舗は和歌山にはないので、退職して、転職しました。

岸田 どうして和歌山に帰ったんですか。

伊藤 ひとり暮らしだったので、夜になると寂しくて。ずっとポジティブではいられないじゃないですか。治療は落ち着いていても、やっぱり不安なことってあるし。そんなときひとりだと怖くなっちゃって。この後、再発、多分するんだろうけど、いつ?みたいな。このマンション、どうやって解約しようかなとか。怖くなってきて、実家に帰りました。

岸田 確かに、再発の恐怖ってずっとありますもんね。

伊藤 友達と遊んでた日の夜が一番怖かったですね。楽しいことがあった夜が一番怖い。

岸田 実家に戻って、今は和歌山で薬剤師をされているということですね。じゃあ、治療はどうするんですか。病院はどうされたんですか。

伊藤 そのまま治療を続けてて。東京に診察しに来てます。

岸田 和歌山で仕事しながら、ホルモン治療の注射をするために3カ月に1回、東京の病院に来てるんですね。結構大変じゃないですか。和歌山の病院にしようと思わなかったんですか。

伊藤 主治医を変えるのが不安だったのと、たまに来て遊ぶぐらいだったら気分転換になるかなと。

岸田 確かに主治医変えるの、ちょっと不安だったりしますもんね。

伊藤 結局、治療も人間関係なので。また、人間関係を作り直していくっていうのはやっぱりしんどいじゃないですか。

岸田 確かにそうですね。

【お金・保険】

岸田 純奈さんが当時、お金の工面をどうしたのかとか、保険は入ってたのかとか、何に使ったのかとかをお話しいただけますでしょうか。

伊藤 私は保険には入っていませんでした。健康保険も傷病手当金がもらえない健康保険だったので。

岸田 傷病手当金って、所属している会社が加入している健康保険によって、給与の3分の2ぐらいを出してもらえるような制度なんですけれども。

伊藤 私は薬剤師国保っていう健康保険だったんで。

岸田 薬剤師は薬剤師で、そういう保険があるってこと?

伊藤 みんながそうじゃないです。たまたまそういう薬剤師国保っていうのがあって、うちの会社がそれだった。傷病手当金が出ないっていう話になって、社長に相談して。ちょっと給与形態を変えてもらって、ボーナスはなくなっちゃうけど、治療で休んでも、1カ月の給料はそのままに特例で、って感じです。

岸田 ボーナスカットでいいから、1カ月の給料そのままでってこと?

伊藤 そうです。「休んだ分も出すよ、それでどう?」って、社長が。

岸田 本当にいい社長さんですね。

伊藤 でも、働けるときは、しっかり働く。

岸田 お給料はもらいつつ。手術の2日後から働いたわけですしね。それで治療費は自分のそのお給料から出して。

伊藤 そうですね。貯めてた分と。でも、高額療養費制度で限度額8万円までだったんで。

岸田 自分の年収によって何段階かあるんですけども、1か月で大体8万円から10万円ぐらいの中で収まって、これ以上出さなくていいよってやつですよね。それで、実質どれぐらいかかったかっていうと、どうですか。100万いきました?

伊藤 100万、くらいだったんだろうなって思いますね。かつらとか、そういうのも入れたら。検査のお金とかも、めっちゃ高いじゃないですか。

岸田 今、ホルモンのお薬のお金はどうですか。

伊藤 このあいだ行ったときは、ホルモンの注射と90日分の内服、あと触診の検査だったんですけど、それで3万1700円だった。その前に頭部のMRIとかPET-CTを受けたときは7万円ぐらいになってましたね。

岸田 今後も治療していくんだったら、もうちょっとかさんでいくって感じですよね。

伊藤 そうですね。

【辛いこと・克服】

岸田 純奈さんが精神的に、肉体的につらかったときに、どうやって克服したのかをお聞かせください。

伊藤 精神的には、本当に、ついてないなと思って。やっぱりみんなが健康なのがうらやましくって。人と比べたのがいけないですね。人と比べると、今の私ってなんなんだろう、みたいになってくる。結構最近まで比べてたんじゃないかなと思うんですけど。

岸田 周りの人の健康な人がうらやましいみたいな。

伊藤 そう、うらやましい。Facebookとか見ちゃうじゃないですか。超楽しそう、みたいな。いいな、私もアメリカ行きたい、とか。

岸田 自分と比較してつらいかもしれないですけど、それをどうやって克服しました?

伊藤 やっぱり友達と家族と、支えたてくれた人が一番大きい。心の支え。

岸田 例えば、どんな形で支えてもらったんですか。具体的なエピソードなどあれば。

伊藤 友達がイベントごとにめっちゃ誘ってくれて。節分になったら、太巻き食べようよ、とか。クリスマスだよ、何する?みたいな。

岸田 あと、ご家族の中ではやっぱりお姉さんが。

伊藤 そうですね。お姉ちゃんはすごいポジティブでパワフルな人なんで、それに引っ張られて、自分も後ろ向いてたけど前向かなきゃ、みたいな、思い直せるような存在ですね。

岸田 じゃあ、肉体的につらかったときは。

伊藤 肉体的に一番つらかったのは、足の裏が痛くて。

岸田 ちょっと待って。乳がんですよね。足の裏が痛くなる。

伊藤 そう。化学治療のときに。私はドセタキセルのときが一番しんどかったんですけど。舌もしびれてぴりぴりするし、歩くたびに突き刺さるような痛み。両足痛かったんで、引きずってる感じ。それが一番しんどかったですけど、それがなくなってきたら、肉体的には大丈夫でした。気持ち悪いとかもあんまりなかったんですよ。

岸田 大丈夫やったんや。

伊藤 2回ぐらい吐いたけど、でも、気持ち悪いのは、吐いちゃえばね。

岸田 ごはんは普通に食べれてた?

伊藤 ごはん、めっちゃ食べてました。私、食べるの好きだったんで。

【後遺症】

岸田 純奈さんが今、抱えてる後遺症とか、それに対して工夫してることはありますか。

伊藤 今あるのは、飲んでるお薬の影響で、ホットフラッシュといって、すごく暑くなることが毎日あるんです。一瞬だけ、ぶわぁって、沸騰するみたいなときがあって。1日に2、3回ぐらいですかね。

岸田 今日もあった?

伊藤 ありました。ほかには、関節痛が。

岸田 関節痛ってどういうことですか。

伊藤 女性ホルモンを抑える薬を飲んでいて、ドケルバン(狭窄性腱鞘炎)っていう関節痛が起こるんですけど、そのときは痛かったですね。

岸田 それはもう、ホルモン治療をやってるうちは仕方ない?

伊藤 サポーターつけて。

岸田 今も痛い?

伊藤 今は痛くないです。ほかには、手術で切ってるんで、手が上げにくい、は後遺症に入りますか。最初は上がらなくて、だいぶ上がるようになったんですけど。腕を上げないと放射線当てられないから。

岸田 どれぐらいで上げれるようになったんですか?

伊藤 結構練習してたんで・・・どれぐらいだろう。放射線始まったのが7月だったんで、手術の2カ月後には、もう全然。

岸田 リハビリ頑張ったんですね。

【医療従事者への感謝・要望】

岸田 医療従事者への感謝、要望はありますか。

伊藤 感謝はすごいあります。皆さん、安心して任せることができて。プロの集中力で治していただいて、ありがとうございました。

岸田 医療従事者への要望とか、あのとき、こうしてほしかったなっていうのは?

伊藤 いや、本当にないです。

岸田 けど、薬剤師やんか。抗がん剤の説明しに、院内の薬剤師の人とか来るやん。

伊藤 参考になる指導をしていただきました。

岸田 自分は薬剤師ですって言った?

伊藤 それが、私は言ってなかったのに、母が「この子も薬剤師でね」って言ってしまって。薬剤師と言ったら、もう分かってる体で接せられちゃうから、あえて言わなかったんです。私、がんのことなんて全然初心者だから。点滴とかは、物としては知ってたけれども、私は扱ってないから、それを使った治療はどうするのかっていう具体的な経験はなかったんで。

岸田 みんな、がんになるの初めてやしね。がんの専門分野のことやってたら別ですけど、そうじゃないですもんね。そういうところで初心者として接してほしいなっていうことですね。

【キャンサーギフト】

岸田 がんになって得たもの、得たことってあったりしますか。

伊藤 キャンサーギフトっていう言葉自体、あんまりまだ受け入れられてないです。がんになって、いろいろ考えさせられましたけど、失ったこともあるしって思いますね。得たものっていったら、やっぱり生きることと死ぬことを考えて生き直すきっかけになった。戻ることはできないけど、ここからやり直すことってできるんじゃないかなと思うきっかけになった。あとは薬剤師なので、乳がんの患者さんに説明できるのも、がんになったからできる強み。

岸田 自分の経験を仕事に活かせる。

伊藤 そうですね。こんな副作用、大丈夫ですかとか。こうやったらいいですよ、みたいな。

岸田 自信を持って接することができますよね。

【夢】

岸田 次は、純奈さんの夢。今後どうしていきたいですか。

伊藤 そうですね、無事に5年10年たっていただきたい、私の身体、って思ってます。でも、今は夢とかはなくて、自分らしく、目の前のことをしっかりこなして生きていきたいと思ってます。

岸田 目の前のことを。

伊藤 仕事とか、仕事とか。

岸田 いや、絶対、恋愛入ってくるでしょう。

伊藤 そうですね。友達と楽しんだりとかもしたいし。

岸田 今、目の前のことを。あと、身体がちゃんと5年10年。

伊藤 耐えてくれって思ってます。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 では最後に、今闘病中の方に、メッセージをお願いいたします。

伊藤 生きることを諦めないでほしいのと、自分に負けないでほしいっていうのと、周りにサポーターの人たちがいっぱいいるので安心して治療してください、ということを伝えたいです。自分を思い出して考えたんですけど、諦めそうにもなったし、自分に負けそうにもなった。周りの人は良くなるように思ってくれていたのに、それに気付けなかった。だから、気付いて安心して治療してほしいなって思いますね。不安だけじゃないよっていうのを伝えたいです。病院にはプロがいっぱいいるので、不安には思わないで頑張ってください。

岸田 説得力ありますね。今の治療に専念して頑張ってほしいということですね。ありがとうございます。

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