インタビュアー:岸田 / ゲスト:砂川

【自己紹介】

岸田 今日のゲストは砂川未夏さんです。

砂川 砂川です。ホジキンリンパ腫に、29歳で罹患(りかん)しました。抗がん剤の治療と、放射線治療したあと職場復帰をしました。10年後、40歳になる手前の39歳で乳がんが見つかって、いま闘病中です。

 

【発覚・告知】

岸田 ホジキンリンパ腫はどうやって見つかったのですか?

砂川 健康診断です。まずレントゲンで心臓の右側に同じような大きさのものが見えていて、再検査に。その時はがんではなくて、筋肉の塊になっている可能性があるから、っていうことで外科に行きました。最終的には生検をして、ホジキンだということに。

岸田 じゃあ、そのでっかいのがリンパ腫だったってことですか?

砂川 そうそう。首元のリンパから脇まで腫瘍がビヨーンって5Kgも。食道とかも細くなってて、よく食べられましたねって言われたぐらい。食欲は旺盛だったので無理やり入れて。せき込んでおかしいなーっと思っていたけど、ちょっと太っただけって思って。首もリンパから脇のあたりまで膨らんでいたし。私は太ったんだってずっと思ってたんですけど、違かった(笑)。

 

【告知】

岸田 宣告はその場で?

砂川 生検結果を目の前で。君は血液のがんです。(さらっと)ホジキンです。もう来週から抗がん剤です。って。なんのことかさっぱり、わからないですよね。

岸田 宣告受けた時は、真っ白って感じですか?

砂川 ほんとにドラマと一緒ですよね。まさか私が!?みたいな。まだ20代、え?30歳になれないのかもーって一瞬思いましたね。

岸田 そうですよねぇ。ざっくりホジキンリンパ腫って、どんなものかっていうのを教えてもらえますか?

砂川 リンパ腫の中にも、非ホジキンと、ホジキン、2種類のものがあるらしいです。ホジキンのほうは日本人には少ないがんで、何十万人に一人みたいな。ホジキンの中にも何種類かあって、非ホジキンはたくさんあるそうです。

岸田 ホジキンリンパ腫ってステージあるんでしたっけ?

砂川 私はステージ3に入りかけたステージ2。腫瘍が首、両脇の3か所にまたがるところで結構広い範囲でした。

 

【治療】

岸田 治療としては何をしたのですか?

砂川 すぐに抗がん剤治療をやって、その後、放射線治療でした。最初1クール目は2週間入院して様子を見て。それ以降は通院で。

岸田 どのぐらいの期間されたんですか?

砂川 治療は約7ヶ月間でした。私の場合、抗がん剤がよく効いたんですよ。本当は1クール2回の投薬を4クールやる予定のでしたが、2クールで終えました。一気にキューンっと、小さくなったんです。先生が、もうやらなくていいって言ってくださって。抗がん剤のあと放射線治療やって、職場復帰っていうかたち。

岸田 職場復帰まで、時間かかりました?

砂川 私の場合は、予定通りのスケジュールで復帰できました。途中、抗がん剤治療してる時、一気に白血球が下がっちゃったので、数週間ブランクがあったんですね。だから結局8月から始めて11月ぐらいまでかかって。12月から放射線で、年明けの半ばまでかかって、1月の半ばからすぐ職場復帰をしたっていう。

岸田 もう10年前ですけども放射線と抗がん剤は何やったんですか?

砂川 ABVD療法。A、B、V、D、の4種類の抗がん剤。その時は知ろうとしてなかったんですよ。とにかく生きるためにやるけど、知ったら怖いってなっちゃっていて。いま初めて、これ使っていたんだとかね。ようやく見られるようになって。とにかく元通りの生活に戻ることだけ考えていました。

 

【仕事】

岸田 職場は理解があったんですか?

砂川 はい、職場には感謝しています。皆さんもそうだと思うんですけれど、誰に言うかってすごく迷って。まずは、信頼できる上司をひとり選んで、その方にこっそりお話しするところから始まって。その方がいろいろ配慮してくださって、人事とこれからどうするか?っていう協議をして、それ以外の人は知らないっていう状態を作りました。

岸田 ほう。でもいきなりいなくなっちゃったら……。

砂川 一応体調不良で半年間お休みを貰います。必ず戻ってきますっていうことで、引継ぎをして休めました。もともと新しい会社だったので制度があまりなかったんですよ。今ある制度の中でなんとかうまくできないかって交渉がかなって10時から15時勤務を4か月間続けた。だから話し合う環境をどういうふうに作るかが大切なのかなぁーって、その時思いましたね。

岸田 当時は流通業界の営業?

砂川 営業というかサポーターのほうですかね。お店とかのバックサポートみたいな仕事でとにかく忙しかった時期だったんです。タクシー帰りは当たり前だったし。仕事が楽しいっていう時に中断されちゃった、そっちのがショックでしたね。健康じゃない自分が受け入れられなかったんでしょうね。一度も入院したこともないし、病気したこともなかった自分が、突然自宅でおとなしくしてなさいって、病気じゃない状態に早く戻りたい。それだけだった。

岸田 時短勤務の時は、どうでした?大丈夫でした?

砂川 うん。副作用終わったので、ウィッグかぶって。ちょうど冬でラッキーだったんですけど、やっぱり放射線の痕が真っ赤だったんですよね。だから、ちょっとストール巻いたり、タートルネックとかで隠したり。あと、私の場合はしびれがすごかったですね。

岸田 しびれ?放射線による?

砂川 放射線じゃなくて薬のほうですね。ピリピリ筋肉痛のようなものと、しびれみたいなのが3年ぐらい残ったんですよ。

岸田 3年もですか?

砂川 疲れると出るから無理がきかなくなっちゃって、それも悩みの一つでしたね。元に戻ろうと思っても戻れない。そういうジレンマがあったかなぁー。

岸田 その時はどうしたんすか?

砂川 しょうがないから休む。やらないで早めに帰るっていう。できるだけ時間をギュッと凝縮して効率よくやる。そこを重視して。考え方を変えるように上司に言われて。ひとりでやろうとするからうまくいかない。頼っていいんだよって。わかっていても頼れないんですよ(笑)。自分で去年までできていたことが、やれなくなっちゃったことが悔しいんですよぉー。

岸田 すっごいわかります。

砂川 業務の見直しをみんなでするようになって、うまくカバーし合うように。そんなことができたのはいい経験だったっていまは思いますけど、その思考を変えることがすごく私の中で大きかったですね。抱えるとなんにもいいことないからねって言われてから。それと、家族が働くことを反対していたんですね。

岸田 そりゃ、心配しますよねぇー。

砂川 よく、結婚しているからいいじゃん。とか言われますけど、私の中では結婚が結構大きな足かせのような感覚に当時はなってしまっていたんです。結婚して2年ぐらいたってそろそろ子供ほしいねって不妊治療始めていたんですけど、取りやめてがん治療したんですよね。その時にやっぱり妊孕性(にんようせい)のことも聞いたんです。この抗がん剤を使ったら子供産めるんですか?って。「わかりません。もしかしたら、人によっては、産めなくなるかもしれないし、産んでいる人もいます。」って。

岸田 つらいですね。

砂川 放心状態になっちゃって、抗がん剤を受けることが拒否状態になったんです。こんな確実じゃないものをやって自分の未来がおかしくなるってありえないって思ったんですけどやっぱり家族は未来の命よりも、あなたの命が大事と。職場復帰する時もやめたほうがいいんじゃないか?3年ぐらい休んだらどうか?5年生存率クリアしてから始めれば?と。すごく複雑な気持ちを抱えながらも、よっぽど働くのが好きだったんでしょうね(笑)。

岸田 働くのが生きがいみたいな。

砂川 子供を育てる可能性がなくなるかもしれない。でも仕事だけは失いたくないっていうふうに、余計強くなっちゃったんでしょうね。

 

 

 

【妊孕性】

岸田 その後の、妊孕性的なところに関してはどうだったんですか?

砂川 結局、治療を始めてから2年後に、閉経に。更年期障害が出るんですよ。うつ状態になって病院に行ったら、閉経になっていますねって言われて、ガーンっていう。

岸田 抗がん剤の副作用とかですか?

砂川 っていうことですね。何かやれば何かを退治できるけれども、別のリスクが必ず起きる。その時は最終的に抗がん剤をするって自分が決めたことなので、仕方がないんですけど。でも最近の医学は進んでいて、また復活させることができたんですよ。

岸田 そんなことできるんですか?

砂川 閉経になっても、薬が進歩しているので可能性があるということで8年間治療しました。

岸田 打倒閉経に対して?

砂川 そうそう(笑)。生理を毎周期おこして、卵子と子宮の状態がよければ体外受精をするとか。医者は可能性ゼロとは言わないです。抗がん剤をやると卵巣の中も結局細胞やられちゃう。その中の卵が何個残ってるかは、医学的にはわからない。生きてる子もいるかもしれない。って言われると、その可能性に懸けるかどうかっていうところですよね。やらないで後悔するよりは、やったほうがいいって夫婦で話し合って、始めたんですよね。もうずるずる(笑)。

岸田 どうでした?8年間やってみて。最終的には戻った?

砂川 戻る戻らないってこれもねぇ。ちゃんとわからない世界で。体調がいいと自然にくるし、体調が悪いと、シーンっとしちゃう。わからないんです自分も、自分の体のことって。それと同時に、心もついていかなくなっちゃうときもあるので。不妊治療って止め時って一番難しいんですよ。

岸田 だと思います。

砂川 不妊治療をやめる=子供を産まない生活をする決断っていうことじゃないですか?いろいろ悩んで。仕事を辞めたのも、カウンセリングに出会ってからなんですよね。キャリアカウンセラーの勉強を始めたときに自分の生き方を自分なりに再設計できるようになってきたんです。だから、子供が産まれたときの自分のキャリア?どんなふうに生きていきたいのかと、産まれなかったときどんな人生が考えられて、どっちも自分が楽しいって思えるものにする。どっちもいいじゃないって状態になると、すごい気持ちが落ち着くんです。だから、そのためにいまどうするか?体力がついていかないけど頑張りたい自分もいて。

岸田 じゃあ、どっちのパターンでもいいように、準備してやっているって感じですね。

砂川 そうですね。夫婦2人で楽しみ、幅広くキャリアカウンセラーとしての活動もできる方をいまは選んでいます。

 

【家族】

岸田 家族のサポートはどうでした?ご主人のサポートとか。

砂川 すごいありがたかったですね。がんだってわかったその日に引っ越しますって。うちの父に、「すいません。マスオにならせてください」って、その場で言ったんですよ。かっこいいですよね。私が入院中だったのであとから両親から聞いたんです。全部手続きをしてくれて、1か月以内に引っ越したんです。

岸田 看病しながらですよね。かっこいいですね。

砂川 私は放心状態だったので決断してくれたっていうのは、いまでも感謝している。あれがあったから、復帰もしやすかったですし家にいるときも母親が夜ご飯作ってくれたり、お風呂もあるし、っていう。全部自分でしなくていい状態ができたので、治療するには最高の環境でしたね。

 

 

 

【お金・保険】

岸田 その時のお金的なところって、どうやったんですか?

砂川 ちょうど、半年前に保険に入ってたんです。

岸田 それ、ずるいパターンですねぇー。

砂川 たまたま大学の先輩に、保険入んない?って言われて、20代後半だしそろそろ入ったほうがいいかなって。女性特約、女性にありがちな疾病っていう中に、がんが入っていたんですよ。入院もカバーされていたので結構出て、あと高額医療もあるじゃないですか?とんとんまではいかないですけど、そんなに負担感なくできたかな?それは、すっごいありがたかったんです。

岸田 また、乳がん発症したときも適用されるんですか?その保険は?

砂川 適用されるんです。保険が外されるわけじゃなくって、ランクを上げられないだけなんです。同じ額で、継続はできるんです。もうほか入れないと困るからって、継続してたら、また使うことになりました。いいんだか、悪いんだかね。乳がんの時は入院費の他に手術代も出ました。

 

【辛いこと・克服】

岸田 いままで精神的、肉体的に辛かったことは?

砂川 最初のころは、がんであることを受け入れられなかった。元に戻ることに必死で。戻れてない自分にすごく違和感は感じていて、なんで私だけ普通に働けないんだろうって。能力ないんじゃないかとか、いろんな想いで悩んじゃって精神的に追い込まれたことがありましたね。

岸田 どう乗り越えたかっていうと?

砂川 STAND UP!!(若年性がん患者団体)は、がん患者にも夢があるって。あの考え方があると前向きにそこに向かっていこうとするんですけれども、いや私できないじゃんとか、ダメダメって思っちゃうと、殻に閉じこもっちゃうんですよね。その部分を、たまたま私はキャリアカウンセラーという勉強を通して乗り越えられました。やってみたいと思う何か目標があると希望が持てました。肉体的なとこはけん怠感が結構ありました。今はないですけど。

岸田 時間がたてば大丈夫?

砂川 はい。5年たったらしびれも、ほとんどなくなったので。体がよくなっても気持ちがついていかないことによるもののほうが私は大きかった。精神的なもの。

岸田 乳がんの宣告を先月受けて、その時は気持ち的には落ち込まなかったんですか?

砂川 へこみましたけど、なんで私ががんに?とか、まさかっていうふうには思わなかったですね。ちょっと早いけど、来たか、みたいな。

(後日談:当時は抗がん治療前でした。副作用を緩和する薬も今は種類が豊富で医療の進歩を実感!その一方で治療中の気持ちはジェットコースターのように不安定に。病気にならないよう生活改善したのになぜ?と自分を責めることも。そんな時に自分から伝えることで、多様な専門家、患者仲間、友人、家族などたくさんの支えのおかげで乗り切れました。)

 

【乳がん】

砂川 毎年乳がんのエコー検診を受けていたんですが、兆候としては、昨年の年末くらいから、ちょっと胸が膨らんできたんです。左胸だけがなんか、張ってきて。で、ちょっといびつ感が出てきて、うーん、どうしたんだろうなぁっと思ったら、6月に乳首から出血したんです。

岸田 うわー。

砂川 もう、出た瞬間がんだと思って。

岸田 えー。

砂川 だって、出血したら、もう、がん以外ないよねぇって思って、6月末に病院に行って。だけど、その時の検査結果はグレーゾーンだったんです。

岸田 え?それでもグレーなんですか?

砂川 グレーなんですよ。1から5の中の3で、疑いあり。みたいな。

岸田 そうなん?

砂川 でも、血が出てますよーって。

岸田 はい。

砂川 細胞診(さいほうしん)をしたところ、ばっちりがんでしたね。もともと左胸に水風船のような小さい嚢胞があったのですが、そこが良性から悪性になった可能性があるって。

岸田 え?じゃあ、その、嚢胞?

砂川 はい。そうみたいですね。嚢胞っていうのは、中に水が入っていて、プヨプヨしている良性の腫瘍なんです。健康診断でもいつも「異常なし」という結果でした。嚢胞内の水の周りががんになってるよっていう。嚢胞内乳がんっていうのが、あるんですね。

岸田 はい。

砂川 症例は少ない種類だけど、おそらく、それじゃないかって。それであれば初期だよ。って。

岸田 うーん。

砂川 あ、そっか、初期ならいいや。と思いつつ、セカンドオピニオン4件とったんですよ。

岸田 はい。

砂川 そしたら、画像を見て、これ違うかもよ。って、言われたんです。(つまり、非浸潤の初期ではない。)

岸田 セカンドオピニオンのところに?

砂川 うん。でも、よーく見ると、これ壊死(えし)してるかもしれないよ。とか、いろいろ怖いこと言いだして……。

岸田 はい。

砂川 で、全部が、実はがんで、最悪広がってたら、うーん。とか言われちゃって、やばい。と……。

岸田 嚢胞だと思ってたのが、もしかしたら壊死かも?

砂川 うん。結局、嚢胞が半分壊死してたんです。

岸田 うーん。

砂川 取り出したら、まあ、4センチ、5センチくらい。なのでステージは、腫瘍5センチ以下なので2って言われたんです。乳がんは細胞の顔つきと、性格が出てくるんですよ。

岸田 顔つきもあれば、性格もあるんですか?

砂川 顔つきは悪いは、性格も悪いし、すぐ手術して抗がん剤しましょうということで、手術を急遽早めてもらって抗がん剤を6か月通院でやって、終わり。

岸田 ホルモン的なやつは、いらないんですか?

砂川 私の場合は、ホルモンに関係するタイプではなかったんですね。トリプルネガティブっていうタイプでした。ネガティブにならないでくださいねって、お医者さんには言われましたね(笑)。

岸田 笑えねぇー(笑)。

砂川 ほんと笑えない(笑)。抗がん剤がよく効くタイプなんでやるんですけど、前回と違うのは、血液のがんは腫瘍が小さくなるのがわかったんですよ。今回手術で取っちゃったので、もうがんはいないんですよ。

岸田 すぐ取ったって感じですか?

砂川 7月にわかって8月、1か月で取って、いま1か月たって。(取材時は9月)

岸田 抗がん剤しようかって、別に転移はなかったんですよね?

砂川 転移はなかったんです。ただ目に見えないところで、種が全身に回ってる可能性があるから乳がんは予防のためにやるっていうことらしいので。最近は吐き気止めとか、副作用も予防するお薬があって働けるでしょうっと言われたんですね。今回は働きながら、抗がん剤にチャレンジしてみようかなぁーって(笑)。

岸田 手術は全摘だったんですか?

砂川 そうそう。たまたま4月から乳房再建手術が保険適用になるのでお得ですよって言われて(笑)。

岸田 再建してみてどうですか?

砂川 もう慣れましたけど、やっぱり異物感ありますよね。グッと張ってる感じです。まあ、一生付き合うでしょう。再建するかどうか迷ってる人には、見た目が変わらないので喪失感がないのかな?やってみて思いましたね。やるまでは、怖かったんですけど、異物が入るってことが、怖くて寝れなかったんですけど、こう見えても(笑)。初めて手術をして、全身麻酔後の後遺症もいろんな人から聞いていて、すごく怖くなってたんですけど、一つ一つクリアしてる。体力もそんなに落ちてないし、普通にいま仕事していますし。

 

【キャンサーギフト】

岸田 砂川さんのキャンサーギフトは何でしたか?

砂川 がんで失ったものも多く確かに悲しかったけれど、それによって、自分らしい生き方にかえることができたんです。自分自身を客観視することができたり、自分て何だろう?何のために生きているのだろう?とじっくり考えられたことは、すごく貴重な機会だったなぁっていうことと、いろんながん患者の方に出会えて刺激をもらいました。今後も患者同士のつながりって大切にしたいと思うし、あとキャリアカウンセラーに出会って、いろんな方が、私に教えてくれたんですね。師匠となる方もできて、そういう出会いですかね。

 

【今、闘病中のあなたへ】

砂川 「喜びと幸せは人と人の間に生まれる〜今だけ、じんわり甘えよう〜」これは、いままさに感じていることで、ひとりじゃ幸せになれないと思うんです。生きている中で、家族もそうですし、仕事でもそうですし、誰かに出会うことで人は感動するんですよね。心が動く。そこで今日生きててよかったぁーって思える。そういうことを、1日、1日、大事にしたいなって思う。

人口10万人あたり約1人くらいのようです(がん情報ナビゲーターでは、リンパ腫が10万人中約13人でそのうちホジキンが5−10%とのこと)

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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