インタビュアー:岸田 / ゲスト:兵藤

【発覚・告知】

岸田 今日は兵藤恭子さんにお越しいただきました。がん種やステージを教えていただけますか?

兵藤 はい、炎症性乳がんです。普通、乳がんって、1つのがん細胞から大きくなっていくタイプだと思うんですけど、これは乳管の中全体に広がって散らばるようなタイプですね。進行の速いタイプの乳がんとのことで、わかったときには乳房全体にがんが広がっていました。最終的には術後の病理検査(※1)を経て、ステージ3bと診断されました。

岸田 全体的に広がっていたという感じなんですね。

兵藤 そうですね。よく乳がんに気付くきっかけは「石が!」って言うじゃないですか。私の場合、乳房全体が固くなるっていう感じだったんですね。

岸田 闘病スタートの時期が2013年。

兵藤 はい、2013年の4月、ちょうど2年前に治療を始めました。

岸田 どうしてわかったんですか?

兵藤 じつは、毎年定期健診を受けていたんですが、ずっと異常なしでした。病気がわかったのが2013年の3月なんですけど、2012年春の検診でも問題なかったんです。それから半年ぐらい経って、右胸全体が固くなる感じで、おかしいなと気付いたんです。当時ヨガをやっていたんですけど、ヨガのうつぶせのポーズで、胸が圧迫されたときに痛みを感じたのが最初に気付いたきっかけです。どんどんその固い範囲が広がっていって、変だなーと。でも定期健診も受けていたし、まさか乳がんじゃないよなと思いながらも、病院に行ってみようかというのが、2012年の12月ぐらいのことでした。

岸田 1年でそんなに?

兵藤 そう、私の場合は半年で、気付いたらもう全体に広がってました。専門のクリニックに行って、もう1回エコーとマンモグラフィー検査をやり直して。それでもわからず、じゃあ今度は、MRIをやってみましょうということになって。ところがMRIでもいわゆるしこりが写っているわけじゃなく、「何か変だけど何だろう?」みたいな感じで確定診断できず、最終的には生検(※2)で病理検査をして、それでやっとわかりました。まさかがんだと思わず、のんびり検査予約を入れていたので、確定診断までに3か月ぐらいかかったんです。

岸田 マンモグラフィーでわからないってこともあるんですね。

兵藤 そうですね。私のケースは一般的な乳がんと違って、全体が白く造影されたので、生検で細胞を取ってみないとわからなかったんです。

岸田 わかるまでは、どんな感じでした?

兵藤 危機感が全然なくて、告知の前日まで10日間、友達とパリに行ってて。それで帰国翌日、ぷらっと軽い気持ちで結果を聞きに行ったら、「乳がんです」と言われて。「あー……」って思いましたね。本当、びっくりしました。

岸田 「乳がんですよ」と言われたときに、頭が真っ白になったりしました?

兵藤 実感がなく、「本当?え?」って。真っ暗も真っ白もなくて、最初はなんか、「あらー」みたいな。で、次に思ったのがやっぱり仕事のこと。会社に迷惑をかけちゃうなーっていうのがありました。一番に知らせたのは当時の上司だったんですよね。10日間も旅行で休んで、やっと出社したら「じつはまた長期休みになりそうで……」なんて言うのも気が引けたんですけど、早く言わないとな、って。

【治療】

岸田 会社を休んで治療をしましたか?

兵藤 そうですね。わかったときには一刻も早く治療を開始したほうがいいよっていう状況だったので、最優先にしました。私の場合は、手術より前に化学療法(抗がん剤治療)を始めましょうと先生から言われました。抗がん剤を始める前には、心機能だとか、肺機能だとかいろいろ調べなきゃいけなくて、初診から1週間ぐらい会社を休み、毎日毎日検査検査という感じでしたね。その検査値が整った段階で初診から10日後くらいに1回目の化学療法を始めました。化学療法は乳がんではスタンダードな治療法で、2種類の抗がん剤のレジメンを3か月ずつ合計半年間行い、その後1か月ぐらい空けてから手術をしました。全摘で、リンパ節郭清(※3)もレベル3ぐらいまで進んでたので、鎖骨のあたりまで取りました。

岸田 首のほうまで飛んでたんですか?

兵藤 そうです。念のため鎖骨のあたりまで取りまして、それから退院をしてすぐホルモン療法を、さらに2か月後ぐらいから放射線治療を始めたという感じです。

岸田 全摘と聞いてショックはなかったですか?

兵藤 そこはそれほど。いちばん気持ち的にへこんだのは、検査を受けていたとき、治療法や今後の治療予定がわからないというときでした。病状としては進行しているというのは先生の最初の診察で言われてたので、さほど落ち込まなかったんですけど、検査が終わるまでどういう治療法を選ぶのかとか、治療の順番をどうしようかとかが決まらなくて、今後の予定がはっきりしない時期っていうのが、気持ち的にはいちばんつらかったですかね。治療が始まってしまえば淡々とそのスケジュールをこなしてくみたいな感じで、けっこう平気だったかなーって思います。

岸田 放射線治療ははどれぐらいやりました?

兵藤 25回ですね、ほぼ毎日を1か月ぐらい。

岸田 痛みはどうでしたか?

兵藤 痛みはあんまりなかったです。

岸田 そのあとはリハビリでけっこう運動しないといけないんじゃないですか?

兵藤 そうですね。しばらく腕が上がらなくなったので、ストレッチはやりました。

岸田 壁に手をつけて。

兵藤 そうそう。入院中は、患者さんを集めたリハビリタイムみたいなものがあって、みんなでDVD見ながら一緒にやったりしてましたね。

【家族】

岸田 ご家族にがんのことを伝えたとき、大丈夫でした?

兵藤 親に伝えるときが会社に伝えるよりも緊張して、どうやって伝えようかなって、すごく気を遣ったのを覚えてますね。直接顔を見ていれば、まあ、けっこう大丈夫そうだなとかわかると思うんですけど、私は親元を離れていたので、電話で明るい声を出さなきゃとか、事実だけを冷静に伝えなきゃみたいなことを考えて、さらっと言いましたね。タイミングもけっこう考えて、やみくもに言っても不安になるだけだろうなと思ったので、告知後すぐではなくて、こういう治療方針でいきましょうっていうのがある程度わかってから伝えました。

岸田 ご両親はどういう反応でした?

兵藤 一緒にがんばろう、サポートするからっていう感じだったんですけれど、あとで姉から、母はすごくショックを受けてたというのは聞きましたね。

岸田 そうなんですね。家族からのサポートは、どんな感じでしたか?

兵藤 そうですね。本当はもっと頼ったりしたほうが良かったのかなって、これは反省も含めてなんですけど。一人暮らしが長かったので、ずっと誰かがそばにいていろいろ心配されるっていうのが苦手で、ちょっと放っといてくださいというスタンスでいたんですね。親としては、「早く治るよう、自分が支えなきゃ!」みたいな気持ちがある一方、当然不安もあって、患者さん側と医療者側の両方の気持ちを併せ持っていたみたいです。私に接するときは、「サポートするからなんでも言ってね」っていう感じで看護師さんのような顔でいたんですけど、一方で姉に見せる顔は不安で、「大丈夫かな、大丈夫かな」っていうような。母はそのバランスをとるのにすごく苦労してたのに、私はかまわれるのがうざいぐらいに感じていたのは、ちょっと反省しました。いろいろ話したりとかしたほうがお互い良かったのかなっていうのはあとで思いましたね。

岸田 1人でもがんばれるよっていう感じで、治療もやってたんですね。

兵藤 そうですね。何か不安なときも、誰かに話すことで楽になるタイプの人と、ひとりでなんとか紛わすみたいなタイプの人がいると思いますが、私は後者で。けっこう1人で映画を見に行ったりとか、そんな感じでリフレッシュするほうが、落ち込んだときに復活するのにいいかなと思って、そういうのをきついときにはやっていたかな。

 

【病院選び】

岸田 病院選びはどうやりましたか?

兵藤 最初に診断を受けたクリニックで連携してる病院のリストをいただいたんですね。その通院しやすさなどの観点から選んでくださいと紹介されたんです。私は製薬会社に勤めているので、がんに詳しい同僚に聞いたりして病院選びをしました。専門性や患者さんの数で、ここだったら信頼できるということで最終的に選びました。

岸田 それ大事ですよね。

兵藤 そうですね。本当は、何か所か病院に行ってみて、先生の話を聞いて、治療方針なども含めて自分に合った病院を選ぶっていう方も多いと思うんですけど、私の場合は、あんまり悠長に選んでる時間もなかったので、先輩に相談をして、そこですすめてもらった病院に決めたという感じですね。

【仕事】

岸田 仕事なんですが、兵藤さんバリバリのキャリアウーマンだったと、勝手に僕は想像してるんですけど。製薬企業の中で、どういうポジションだったんですか?

兵藤 マーケティング部に所属していました。薬の担当があって、その薬の特徴を踏まえてどういう患者さんに使っていただくのがいいかとか、それを処方される先生に納得いただくために、どのようなデータで、どのような方法で伝えようか、というようなことを日々考えていました。

岸田 そのお仕事をされてたときにがんがわかって、どうなったんですか?

兵藤 たまたまわかったのが4月の、年度初めだったんで、有給休暇が1年分40日間丸々手つかずで残っていました。タイミングがいいって言っていいのかわからないんですけど、その有休で手術のときのお休みとか、抗がん剤でつらいときの休みとかが収まったので、休職はしてないんですね。

岸田 そうですね。抗がん剤は通いだったんですね。

兵藤 はい、外来で。投与翌日、翌々日ぐらいまでは休むという感じで、あとは、在宅勤務の制度がありまして、会社に事前に申請をしておけば、会社に行かなくても自宅でお仕事ができるんですね。それを活用していました。

岸田 イマドキの会社ですね。でも、出勤もするわけですか?

兵藤 そうですね。最低週に1回は出社するっていうルールがあって、抗がん剤投与日の前日に会社に行ったり。抗がん剤の期間は免疫力が落ちているじゃないですか。

岸田 はい。

兵藤 なので、満員電車とか人混みはちょっと厳しいなっていうのがあったので私は朝早く6時半ぐらいに出社して、帰宅時間は早くするとか、ラッシュを避けて通勤するっていうスタイルでやってましたね。

岸田 つらいですよね。周りの配慮とかはどうでした?

兵藤 それはすごく良くしていただいて。それまで、出張が多い仕事だったんですけど、全部他のメンバーがカバーしてくれて、私は内勤の仕事に特化していました。内勤だったら自宅でもできるし、なんなら会議も自宅から電話会議で参加したりしていました。とは言っても当然今まで通りには仕事できなくて、仕事の比重としては半分以下ぐらいですかね。ボチボチと無理しない程度にやっていました。

【お金・保険】

岸田 次にお金の話で当時保険に入っていたのかとか、乳がんの治療費とか、ざっくりでいいのでお願いいします。

兵藤 保険は入ってなかったんですよね。

岸田 残念パターンですね。

兵藤 はい。なので反省を踏まえてみなさん保険は入りましょうということしかお伝えできないですね。

岸田 じゃ、全部自腹ですか?

兵藤 そうですね。ただ医療費控除もあるし、あと、高額療養費制度(※4)で返ってくる分もあったので、それでなんとかなるみたいな感じでした。

岸田 抗がん剤をしてたときの負担はけっこうしますよね?

兵藤 そうですね、毎月医療費の上限を超えていたので、その分返ってきてましたね。

岸田 返ってきてた?

兵藤 はい。抗がん剤自体も後半のレジメン(※5)では少し高額で1回9万円とか、10万円とかっていう感じだったんです。病院窓口での支払いはフルに払うんですけど、会社の健康保険組合から、高額療養費として3か月後ぐらいに補助があって戻ってくるというパターンでした。

岸田 ざっくり今までにどれぐらいかかっていますか?100万円は超していますよね?

兵藤 検査費用も含めるとそうですね

【辛いこと・克服】

岸田 精神的や身体的につらかったときのことを教えてください。精神的にきつかった時は、治療法が見つからなかった時ですか?

兵藤 そうですね、治療方針が決まるまでの間がいちばんつらかったですかね。

岸田 克服法としてはどんなことをやりましたか?

兵藤 1人で引きこもって好きなことをするっていう感じですかね。映画を見たり、本を読んだりとか。

岸田 身体的にはどうですか?

兵藤 身体的には、ありがたいことに本当に耐えられないほどの副作用はほとんどなくて。だるいとか、腕の突っ張りとか、血管痛とかそういうのはありましたけど、いわゆる吐き気とかは全然出なくて。

岸田 吐き気止めは飲んでました?

兵藤 もちろん飲んでましたけど、飲んでもやっぱり出る人は出るっていうのは聞いてたので、拍子抜けでしたね。「あれ?」っていう感じでした。じつは全摘術のときに同時再建をしてないので、もう一度来月再建手術を受けるんですけど、手術時間としては今度のほうが長そうです。

岸田 すみません、僕ちょっと素人で申し訳ないんですけど。

兵藤 食いつきますね(笑)。

岸田 めっちゃ、興味あるんですよ。保険適用のシリコンって、ちょっと微妙だみたいなことを聞いたんですが、どうなんですかね?

兵藤 最近保険適用になるシリコンの種類が増えて、大きさとか形によって選べるとか、背中の肉を持ってくる術式と併用もできて、より自分の形に近づけるように、いろんな工夫ができるみたいですよ。

岸田 じゃあ種類が増えてるんですね。兵藤さんのは、先生が決めてくれるんですか?

兵藤 そうですね。いくつかのオプションから選びます。1回で済ませたい場合はこんな感じ、でも2回やったほうがよりきれいですよ、それぞれこんな感じですよっていうのを3Dでシミュレーションして見せてくれて。完成形のイメージと費用や期間を比べつつ、先生と相談しながら決めていくっていう感じですね。

岸田 保険適用外もあったりするんですよね?

兵藤 そうですね。豊胸術みたいなもので、たとえば脂肪細胞を注入して大きくしたりするような方法もあるんですけど、私は全部保険適用で選びました。

【後遺症】

岸田 後遺症は大丈夫でした?

兵藤 術後の痛みがしばらくは続いてたり、腕が上がらなかったりっていうのはあるんですけど。

岸田 以前行ってたヨガは行ってますか?

兵藤 ヨガは行ってないです。ホットヨガやサウナは、リンパ浮腫に良くないので先生からやめたほうがいいとすすめられたので。術後しばらくして軽度のリンパ浮腫が出たので、リンパケア外来にも行ったりしているんですけど。

岸田 リンパケア外来はどうですか?

兵藤 エステみたいですね。マッサージの仕方は普通のエステとは違う、優しーく、なでるような専門的な方法なんです。

岸田 リンパ浮腫の症状ってどんなものですか?今も出てますか?

兵藤 腕のだるさはずっと感じていて、左右の腕を見比べたら、ちょっとむくんでいるわ、というのが症状の出始めでしたね。浮腫が起こることがありますっていうのは聞いてたので、早めに先生に診てもらおうと思って、リンパケア外来に行きました。今は弾性スリーブを着けています。

岸田 キュッてなってるやつ?

兵藤 もうキューッっていう。

岸田 それをやったらマシになるんですか?

兵藤 これ以上ひどくならないように、予防的にやっていきましょうという感じでしたね。保険も効くので。

岸田 そうなんですか。

兵藤 リンパケア外来の診察は保険適用じゃないんですけど(注:2015年当時。現在は平成28年度診療報酬改定で保険適用となっています)、弾性スリーブの購入は保険が効きます。

岸田 ちなみにリンパ浮腫外来に、男性はいました?

兵藤 私が行っているところは個室なんであんまりわからないですよ、どういった患者さんがいらっしゃるのか。

【キャンサーギフト】

岸田 キャンサーギフトについてお聞かせいただければなと思うんですけども。

兵藤 得たものって何かなと考えてみたんですけど、仕事に対する責任とか誇りみたいなものを感じながら仕事をするようになりました。私は、製薬会社勤務なんですが、お恥ずかしながら今まで目の前の仕事をこなすばっかりだったんです。でもあらためて医療に携わる仕事をしてるっていうことの重みみたいなもの、自分の仕事っていうのは患者さんに貢献しているんだぞ、医療の進歩に携わってるんだぞ、みたいな気持ちを感じられるようになったというのは大きかったですかね。

岸田 ぜひね、新卒の製薬会社の人たちに聞いてほしいですね。

兵藤 あとは、がんサバイバー仲間。今までは接する機会のなかった世代や学生含めたいろんな職業の知り合いが増えて。私、けっこう周りの人に相談とかしないタイプだったんですけど、同じような立場の人で、相談をしあえるっていうのも良いよねって思うようになりました。あとは、ゆとりですかね、生活の。家にいる時間が長くなって、ゆっくりお風呂に入ろうだとか、料理もしようだとか、そういうきちんと生活を整える時間ができたのも大きいですね。

【今、闘病中のあなたへ】

兵藤 「人生は永い、疲れたら休もう」。永いの字がちょっとポイントなんですよ。永遠の永を使ってみました。これは、仕事でお世話になった先生がおっしゃってた言葉なんですけど。若いがん患者さんほど病気を克服してからの時間ってすごく長いと思うんですよね。若いときに病気になってへこんでしまったりすると思うんですけど、人生って目標に一直線に行ける人ってほとんどいないと思うんですね。病気になったことは神様がくれたお休みだと思って、一回立ち止まって過去を振り返ってみたり、今後自分の進みたい道を作り直したりだとかにあてていただいて、より良い目標に向かって充実した人生にしていただければなと思います。がんになったら、再発だけにおびえるのではなくて、もっといろんなことに挑戦してみたり、前向きに。自分も今それを思いながら、毎日生活しています。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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