インタビュアー:岸田 / ゲスト:原澤

【発覚・告知】

岸田 20代前半の骨肉腫の現役サバイバーをゲストにお迎えしました。では原澤さん(以下、つぐみちゃん)、自己紹介をお願いします。

原澤 原澤つぐみです。がん種は左大腿骨骨肉腫です。ステージは直接医師から言われたわけではないので、後日自分で調べたのですが、たぶん2bかな、っていう曖昧な感じなんですけど。闘病期間は2009年10月からなので丸6年経って、今7年目に入ります。もともと私、バスケットボールを小・中・高とずっとやってたんです。高校の1年生のときに、最初はひざに違和感があって。でもバスケットをやってたし、成長痛かなと思って。2〜3日したら治ったりっていうのを繰り返していたので最初はあんまり気
にとめてなかったんですけど、だんだん、部活中もすごく痛くて走れないし、部活やってない間も授業中とかでもガンガン痛くてだいぶ腫れてきたので、ちょっと変だなって思うようになって。でも最初はずっと接骨院とかに通ってて、まったく疑いもせず電気を当てていました。

岸田 接骨院で電気当ててって……骨肉腫に電気当ててたってこと?

原澤 そうです(笑)。マッサージとかも受けてました。今思えば危ないんですけど、そのときは全然気付かなくて。あまりにも腫れの治まりが悪かったりとか痛みの治まりが悪いということで、「いいかげん病院に行きなよ」って親に言われて。夏休みにちょっと時間があったので行ってみようかなと思って、そこで初めて。

岸田 違和感があったのは春?

原澤 もう春ぐらいからずっと。夏休みの終わりぐらいに、スポーツ整形のクリニックに行ってみて、そこで初めて採血したりレントゲン撮ったりして、ちょっとおかしいってMRIも撮ったんです。 でも造影剤なしで撮ったので詳しいことはわからなかったんですけど、採血したときにCRP(炎症反応)がすごく高くて。白血球もちょっと多かったのを見てクリニックの先生が「ちょっと、ただごとじゃないかもしれない」ってことで、 大学病院に紹介されました。大学病院の先生はある程度、骨肉腫かもしれないってことはわかっていたみたいなんですけど、年も年だったので告知まではいかずに、まず初めに生検(※1)をしましたね。それでも私はまったくがんだなんて思ってもいなくて、ほんとに今思えば超能天気なんですけど。

岸田 大きな病院にはお母さんと一緒に?

原澤 そうですね、親も一緒についてきました。親は大学病院の先生から、九割がた骨肉腫だろうということは言われていたんですけど、私には親も先生も言わなくて。生検の結果が出るまでの間に、私の部活の先輩のご家族の方が「地元で一番の大学病院よりも日本で一番の、もっと大きい病院に行ったほうがいい!」 って背中を押してくれて。病状が確定する前に、セカンドオピニオンで今通ってるがん専門病院に行きました。そのときも親に「セカンドオピニオンに行くよ」 って言われて。まったく予想っていうか、 がんなわけないだろうって思ってたので、 がんセンターに行ったのに私全然疑ってなくて、「何をドラマみたいなこと言ってんの」って思っていました。そこの整形外科の先生から「もう年も年だし、言ってもわかると思うからはっきり言うけど、九割がた骨肉腫っていう病気だよ、骨のがんだよ」っていうふうに言われて初めて、大変なことが起きたって頭が真っ白になった。

岸田 そのときに告知を受けたのですね。どんなことを感じたかとか、覚えてます?

原澤 涙ってこうやって出てくるんだって思いました。まばたきしてるのと一緒に全部落っこってくるみたいな感じで。 もちろんほんとに直前までまさかって思っていたのでびっくりしたっていうのが 一番。あと部活の友達とすごく仲が良くて、あの子たちと一緒に卒業ができなくなるのかもって思ったら、嫌だなってすごく思ったのを覚えています。でも親に 「これは治る病気だよ」って釘を刺されたっていうのもあって、死とか恐怖とかっていうよりも、言われたことのびっくりが大きかったかなって思う。

【治療】

岸田 治療について教えてください。

原澤 基本的な骨肉腫の治療っていうのはだいたい決まっているらしいです。術前に3か月ぐらい抗がん剤をして、がんを小さくしてから手術で取り除いて、そのあと悪性の場合は再発予防として、プラス半年間ぐらい抗がん剤をするんですけど、使っている薬もだいたい、シスプラチン、アドリアマイシン、メトトレキ サートっていう3つの薬で、効かない場合はイホスファミドっていう薬も一緒に使います。だいたい全部で1年間ぐらいが基本的な骨肉腫の治療です。

岸田 抗がん剤はどのぐらいやりました?

原澤 最初は3か月ですね。3か月やったあとに、人工関節に替える手術をやって。左ひざの関節の上から太ももの間ぐらいまでを切断して、そこに代わりに人工関節を入れて。私の場合はがんが血管の近くにあったので、血管も移植して。これがなくなったら足が動かないよっていう太い血管も移植して、血管は自分の右足から血管を取って移植できました。手術自体は12時間ぐらい。

岸田 うわあ、大手術ですね。

原澤 人工関節だけだったらそんなにかからないんですけど、血管までやるとちょっと時間がかかるみたいです。

岸田 大変でしたね。

原澤 血管を移植したのでギプスみたいな圧迫ができなくて。この血管から血が漏れたりしないように1週間絶対安静で。人工関節手術が終わったあとに、再発防止でもう1回、半年ぐらい化学療法をしました。トータルで1年ですね。

岸田 このときの化学療法は再発防止のため?

原澤 はい。

岸田 抗がん剤は、同じものですか?

原澤 同じ抗がん剤です。

岸田 がん自体は?

原澤 きれいに取れたっていうふうに言ってました。主治医の先生が「自分をほめたいぐらい上手にできた」って(笑)。

岸田 ほめてやってください! ほんとに。先生も必死ですからね。

原澤 一度、寛解(※2)したんですけ ど、半年ぐらいして肺に転移が見つかって。肺の外側というかね、肺を包んでる膜のところにできてしまって。これはわかってすぐ手術しました。

岸田 これなんでわかったんですか?

原澤 定期検診ですね。怪しいのがあるっていうふうに。

岸田 再発したと聞いて、ショックを受けました?

原澤 あんまりショックじゃなかったです。絶対治ると思ってたから。なぜか絶対的な自信があって、全然落ち込まなかったですね。またがんばろうっていうか、 戻ってこようっていうのがすごく強かったです。

岸田 その次にまた化学療法が始まったのですか?

原澤 これも再発予防のためですね。手術のあとだったので。9月の画像検査でまた胸膜の腫瘍が大きくなってるとわかり、手術をしました。手術では目に見えるものは取り切れたのですが、神経に近かったこともあり、ぎりぎりまでできなかったことから少し不安な状況だということで、重粒子線治療をすすめられました。その準備の段階で甲状腺にがんが見つかってしまって。

岸田 またがんが見つかった?

原澤 だんだんこのあたりから、「おっと」って思ってきました。「自分の病気って、もしかして深刻?」ってそのとき思いました。

岸田 それで甲状腺をこのときに全摘をしたんですか?

原澤 全摘をしました。その後、治療対象外となって、もといたがん専門病院で治療をしました。たしか治験だったと思います。それがわりと効いて、9クール(※3)ほど続けました。

岸田 そして、2012年の12月には重粒子線治療もしていますね。

原澤 そうです。脊髄、心臓に近いところにがんが見つかり、手術ではリスクが高いので重粒子線をやることになりました。これたぶん、珍しい治療だと思います。あまり聞かない治療で。骨肉腫が特殊な病気で放射線が効かないので、重粒子線っていう、放射線の中のさらに絞った分野の放射線。

岸田 次に、右卵巣全摘手術?

原澤 重粒子線終わったなって思っていて、もう1回検査したらまた見つかったんです。今度は右の卵巣にがんがあるって言われて。

岸田 もうここまで続くとショックが大きいですよね。

原澤 もうやばかったですね。このあたりからはもう、「ああそっか」と思って、「重粒子線をやってたのに、結局右の卵巣に出るってどういうこと?」って。

岸田 そうですよね、上半身を叩いたら、次は下半身にできて。このとき「もう手術は嫌だ!」とか思いませんでしたか?

原澤 これは取ったほうがいいって自分でも理解できたので、絶望はしたけどまだ治るって思ってたんで。再発しても何年もがんばってる子をずっと見てきてたので、私はまだまだ治ると思って、ここで治療放棄はしないと思いました。

岸田 強いですね。そして化学療法が始まります。

原澤 これは再発防止のため。あと骨肉腫自体は血液に乗って動くがんなので、次が出ないように。

岸田 その次に、肺部分切除手術ですね。

原澤 今度は肺の下のほうに出てきて、重粒子線をやったところはすごくよく効いて、今も全然ないんですけど、今度は上のほうじゃなくて下のほうに。

岸田 ええっ、わからないけど重粒子線を全部にしとくってことはできなかったのかな?

原澤 重粒子線はピンポイントでしか当てられないんです。

岸田 がんがあるところにしか当てられなかったと……。

原澤 骨肉腫の第一治療方法は切除なので、切除をしました。

岸田 で、次は縦隔肺部分切除手術。

原澤 肺の手術をしたあとに、「きれいに取れたから、抗がん剤もしなくていいんじゃない」「今までもいっぱいやってきたし、ちょっと休憩してもいいんじゃないかな」って言われたのに、ちょっとしたらまた縦隔と肺に新しくできてて。

岸田 また肺にやって、またがんばろう っていう感じか…….。そして、抗がん剤治療をやりましたと。これがこの春まで続くんですね。2015年4月から分子標的薬(※4)をやったんですね。この 闘病歴、すごいですよね。こんなにいっぱい治療をやってきているつぐみちゃんだからこそ、なんか伝えれるものがあるんじゃないかなと思います。今もがんはどっかにはあるのですか?

原澤 あります。縦隔の肺部分切除、 2014年11月にやったのは、開いて閉じただけで。画像で見る限りは2つぐらいって言われたんですけど、実際開いてみて触診してみたら小さいのがたくさん あったっていうことで。このときに、もうこんだけいっぱい散らばっていたら、 完治は望めないって、維持療法に変えますって言われてます。なので正直この先は真っ暗っていうか見えてないですね。

岸田 ほんとにただこんなにも明るく「がんノート」に出てくれて今、治療中の方に何かメッセージを残せるんじゃないかなと思います。

 

【学校】

岸田 続いて学校のことをお聞きしたいと思います。大学生活についてをお願いします。

原澤 入院したときが高校1年生で、元の学校を退学して、院内学級に転籍になりました。

岸田 高校も行けるんだ!?

原澤 そうですね。院内学級って小中学生までが対象になってるところが多くて高校生までっていうのはなかなか珍しいんですが、私の場合、院内学級で普通科目を全部取ることができて、単位も年間の単位は全部取ることができました。戻ったときに周りの友達と同じように年を重ねられるっていうのがすごく強みで、それがあったから私はけっこうがんばれたというか、戻ってきても大好きなバスケ部の友達と卒業できるっていうのがすごく励みになっていて、そこでがんばろうって思いました。

岸田 じゃあ、院内学級でそのまま高校の単位は取れたけど、大学とかはどうしたんですか?

原澤 さすがに院内学級は大学生まではなくて。受験を最初はしようと思って、試験とかもちゃんと受けようって思ってたんですけど、ちょうど高校3年生の夏あたりの時期、ここでまたがんが見つかってしまって、そこで重粒子線治療をすることになって転院したりしたので、ちょっとごたごたしてて、正直勉強どころじゃなかったんです。そのころ、負担無く受験できるように、院内学級と地元校とで連絡を取り合っていた時期でもあったんです。なのでこのことを伝えたところ、成績は問題なかったので「地元校の受験生が最優先だけど、枠が余ってたら、指定校推薦で受験をさせてあげるよ」って言われて、「お願いします」って。結局大学は指定校推薦で入学しました。

岸田 大学生になってもこれだけ治療やっていて、大学には通う時間はありましたか?

原澤 重粒子線治療をしてる間はさすがに行けなかったので休んでたんですけど、ここでも学校がすごく配慮してくださって、単位が取れるもの、出席ぐらいで試験を受ければ単位がもらえるみたいなものは単位を取らせてもらっていて、なので4年生になるまでは1回も休学せず通うことができました。

岸田 すごいですね!

原澤 治療も大変は大変だったんですけれど、1日で終わる薬が多かったのと、ちょうどそのときは化学療法もそんなにしんどくなかったので、けっこう普通に通えましたね。しんどかったのはしんどかったですけど、通えないほどではなかったです。

岸田 出席重視の語学とかは大丈夫でしたか?

原澤 語学は先生が大目に見てくれて、「出席してなくてもテストをがんばればいいよ」って言ってくれたんですけど、どうしてもレポートを毎週書かなくちゃいけないような授業はさすがにダメだったので、次の年に取るっていう方法で。 うちの大学は単位さえ取れてれば、勝手に年次が上がってて、1年生のときに取れなかったら2年生で取ればいいっていう、最終的に全部単位が取れればいいっていう大学なので、取れなかった単位は次の年に取ってました。今年はちょっと休学をしています。治療がどうなるかわからなかったっていうのと、時間があるうちにやりたいことをやろうかなと思って。

【辛いこと・克服】

岸田 つぐみちゃんが身体的や精神的につらかったとき、どう克服してきたのか、今もどう克服してるのかっていうのを聞きたいんですけれども、身体的につらかったことは何ですか?

原澤 副作用がですね、吐き気とか。いちばん最初の抗がん剤がいちばんつらかったです。

岸田 どんな副作用が?

原澤 吐き気、脱毛、発熱とか、あと血球障害。主に抗がん剤の副作用といわれてるものが一通り出ていました。

岸田 どう克服したんですか?

原澤 時間が解決してくれるのと、あとは吐き気止めを自分でコントロールして。私はどっちかっていうと寝ちゃいたいタイプだったので、朝起きてお昼までは、ぼーっとしていて、そんなにまだ気持ち悪くもないので起きてて、お昼ごはんを親に持ってきてもらって、それを食べて吐き気止めの薬を飲んでそのあとずっと寝てるっていうのが私のお決まりのパターンでしたね。

岸田 自分のパターンを見つけて、リズムある生活を過ごしていたんですね。

原澤 吐き気止めも合う合わないがあると思うので。最初は薬の名前を覚えていないんですけど、飲みつづけていると、「これ効くんだな」とか「これは効かないんだな」っていうのがわかってきて。 けっこう自分でコントロールしちゃったほうが楽かもしれない。

岸田 合わないと思ったらほかの薬に変えてもらったりとかね。精神的につらかったときは?

原澤 精神的には、やっぱり今年の春がいちばんつらかった。ずっと治る治るって思ってたものが、治らないかもしれない、これからずっとつきあっていかなきゃいけないっていうふうになったときが、いちばんつらかったですね。今まで前を向いてたものが、勝手にシャッターを下ろされた感じで。

岸田 治ると思って治療をしてるのに、それはけっこうへこみますよね。どういうふうにそこは乗り越えてます?

原澤 そのときは精神的にボロボロで、何かあるごとに泣いてたし、学校のこと考えてても、治療のこと考えてても、そうじゃないこと考えてても涙が出てたので、もう自分じゃどうにもできなかったので、そのときは精神腫瘍科の先生にお世話になりました。

岸田 精神腫瘍科っていうのはどういう科なんですか?

原澤 普通の病院でいう精神科と同じです。

岸田 カウンセリングしてくれるってことですね。

原澤 そこの先生にお願いして安定剤を出してもらったり、睡眠導入剤を出してもらったり。今もそれをずっと飲みつづけていますね。すごく精神的につらかったです。私、心理学専攻なので、そんなに精神疾患やお薬に抵抗がなかったからか、飲んでるから平気だろうって思ったからか、飲みはじめてからだいぶ気持ちも前向きに変わってきました。ちょうど4月から休学して、それによって社会から離れてはいたんですけど、周りと比べなくなったのが自分の中ですごく良かったのか、今すごく楽しくて。もう社会復帰無理なんですけどっていうぐらい楽しいです(笑)。

【反省】

岸田 こうしておけば良かった、っていう話はありますか?

原澤 日記を書いていれば良かったなってすごく思います。ブログでもいいと思うんですけど。何度チャレンジしても、 三日坊主で続かないんですよ。

岸田 ああいうの続かないですよねえ。 僕も家計簿とか、どんだけ書こうと思って失敗してるか(笑)。

原澤 ほんとに。最初は1年で治ると思っていたんですけど、いつの間にか6年経ってて、ちゃんと日記を書いていたら、 改めて見つめ直すことができると思うし、こういう話をするときに「あのときこうだったな」っていうことをお話できたなあと思います。

【今、闘病中のあなたへ】

原澤 「幸せだから笑うのではなくて、笑うから幸せ」です。

岸田 ちょっと深い内容ですね。

原澤 フランスの哲学者の言葉なんですけど、その人いわく、鶏か卵かっていうように、どちらが先かっていうだけなので幸せよりも笑うほうが先なんじゃないかということです。私はこの言葉を見つけて、私のモットーにしてるってことは これだなって思って。がん患者ってどうしても「不幸だな」とか、「不幸せだな」 っていうふうに思うかもしれないんですけども、だからこそ泣くんじゃなくて、 笑ってたらがん患者でも幸せだよっていうことが大事だなって思っています。どうしても今は幸せじゃないから、がんになって幸せじゃないから笑えないっていうのは違う。たしかにつらいこととか涙することいっぱいあると思うんですけど、それと同じぐらい笑うことも絶対あると思うんです! 生活しているなかで、もちろんバラエティ番組を見て笑うことでもいいですし、好きなお友達とごはんを食べて笑うのでもいいですし、とにかく笑顔を忘れなければ、がん患者でも絶対幸せなんだよっていうことを、みなさんに伝えたいなって思います!

岸田 そうね。笑うっていうの大事ですよね、ほんとに。

原澤 もちろんつらいときはいっぱい泣いていいと思います。だけど「笑ったら幸せになるよ!」って伝えたいなって。

岸田 たしかにそう。だから「がんノート 」も、できれば明るい雰囲気で笑いながらやれたらもっと楽しいんじゃないかとか、幸せになれるんじゃないかと思って放送しているので、もっと笑って人生を謳歌していきたいと思います。ありがとうございました。

 

 

 

※1 生検・・・・・・患部の一部を切り取って、顕微鏡などで調べる検査。

※2 寛解・・・・・・・症状が一時的に軽くなったり、消えたりした状態。このまま直る可能性もあるが、場合によっては再発することもある。

※3 クール・・・・・・抗がん剤は、投薬期間と休養期間を1セット(3~4週間)として行い、それを1クールと言う。

※4 分子標的薬……がん細胞の持つ特異的な性質を分子レベルでとらえ、それを標的として効率よく作用するようにつくられた薬。

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