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【インタビュアー】胎児性がん(胚細胞腫瘍) 岸田徹  

(インタビュー日:2014年2月1日)

病気のこと

【がん種】胎児性がん(胚細胞腫瘍)
【ステージ】ステージⅢ 予後不良
【闘病(入院)時期】2012年10月〜2013年7月

【現在】経過観察中

 

僕のがんは、胎児性がんというものです。胚細胞腫瘍の中の種類の1つ。胚細胞腫瘍になる確率が10万人に1人。そのなかの約5%と言われています。且つ、原発が不明でした。当時は頸部リンパ節、縦隔、腹膜リンパ節などに転移。5年生存率もあるデータによると48%でした。

治療のこと

Q 治療はどんなことをしましたか?
A 
抗がん剤→BEP療法と呼ばれるものを4クール、3ヶ月実施。
手術→頚部と胸部の手術、後腹膜リンパ節郭清の2回を実施。
放射線→非セミノーマのため、放射線が効かないとの判断でしていない。 

頚部のがんが大きかったため、まず抗がん剤を実施。
比較的抗がん剤が効きやすいがんなので小さくなりました。それから外科的に腫瘍を摘出しました。
※あくまで個人のケースです。全ての人に当てはまりませんのでご理解ください。

宣告 

Q  宣告を受け、まず始めにやったことは何ですか?
A 職場への電話。

会社の上司に伝え、すぐ入院する旨や今後の仕事の引き継ぎについて共有しました。
あと、うなだれていた両親を逆に慰めることも必要でした。

宣告の受け入れについては、「人生何が起こるかわからない」「なんとかなる」ということを学生時代の世界一周中に経験していたので比較的スムーズに受け入れることが出来ました。だから実質30分ほどで気持ちは切り替えることが出来たと思います。

全身がんと宣告されても、5年生存率が五分五分ということを聞いたので、それでも50%近くは生きれるんだ!という闘病の活力になりました。

 ただ、やはり抗がん剤の副作用などが襲ってきた時は、なんでこんなつらい目しなあかんねん……という気持ちが湧いてきたこともありました。しかし、今は良いネタになったと思っています。

家族のこと

Q 家族との関係性はどうでしたか? 
A 両親にすごく感謝しています。ただ...

親孝行をしたいと思いました。ただ、手術に関しては懐疑的でキャンセルの電話もされました。
 父・母・兄・ぼくの四人家族。兄貴はよく病院へ来てくれて介護してくれました。両親についてはここまで育ててくれてありがとうという気持ちがあり、これを乗り切って生きて親孝行するという気持ちも芽生えました。

ただ、体を切り刻むということは両親にとっては受け入れがたく手術のキャンセルの電話も病院へされましたが、僕が成人していたお陰で僕の承認が必要なこともありなんとかその危機は脱しました。ただ、友人がすごく協力的で相談にものってくれたのである意味家族以上の仲だと思いました。 

仕事・学校のこと

Q 仕事はどうしましたか?
A 休職を約1年半。

社長もお見舞いに来てくれ、会社が回復するまで待ってくれると言ってくれたのでその言葉に甘えました。自分の病気を克服したら帰る場所があるという安心感があったので、その言葉にはすごく感謝しています。

 Q 今はどうしてる?
 A 復帰へ向けて勉強。

2014年、3月に仕事に復帰する予定です。以前よりもパワーアップして戻れるように自分で業界の勉強や資格の勉強に取り組んでいます。 

Q 復帰するためにはどうしたら良いですか?
A 歩く。

復職してからのために体力をつけようと毎日歩いています。歩いていると前向きな思考になるし、体力もつくし、新たな発見もあるので、復帰するために歩く!ということも重要だなと思っています。

お金・保険のこと

Q 治療費いくらかかりましたか?
A 約100万円ぐらい?

限度額適用認定証の高額医療費のお陰で、何百万も使ってはいませんが、検査などのトータル費用を合わせると治療費は1年間で大雑把に100万円弱ほどかかりました。 

Q 保険は入っていましたか?
A  NO...

保険はまだ若いということで入っていませんでした。今思えば少しでも入っていたら……と思います。

性のこと

Q 性については何かありますか?
A 性機能障害が...

後腹膜リンパ節郭清の影響で射精障害を患いました。正常に、精子が発射されないという症状です。手術の際に、そういった可能性があるということは教わりましたが、2本神経があり、1本は確実に残すので大丈夫だろうと言われました。

しかし、手術後出ることはありませんでした。めちゃくちゃヘコミました。絶望感にも襲われました。男として生きていく意義を失った感覚になりました。しかし、ブログを通して情報を下さった方もいて、それを調べるとおよそ3ヶ月ぐらい、最長1年半ぐらいで戻った人もいるそうです。それを聞いて、すごく安心したことを覚えています。

だから情報って本当に大切だと思います。それがきっかけでこのようなサイトを作っていこうと決めました。

 恋愛や結婚や配偶者のこと

 Q 恋人は当時居ましたか?
 A NO

居たらよかったのに……笑。
ゆくゆく、がんになっても恋愛して結婚できることを証明したいです。二次元に嫁はいますが…。(笑)

 辛かったこと&その克服法

 Q がんになって肉体的に辛かったことは何ですか?
 A 体力低下

2回の手術の影響で体力がかなり落ちました。特に後腹膜リンパ節郭清でお腹を大きく切ったため、その後、食べることもあまり出来ない日もありました。体重も63キログラムから45キログラムまで落ちました。

 それをどう乗り越えましたか?
A 毎日すこしでも歩くようにした。 

すると腸もよく動き出すとのことだったので、歩いて腸を動かすようにしました。すると自然に食欲も徐々に湧いてきました。今では54キログラムまで回復しました。まだ体力は完全とは言いがたいですが、日常生活には問題なく過ごせています。

 がんになって精神的に辛かったことは何ですか??
A 後遺症が残ったこと。

辛かったことは、後遺症が残ったことです。先述にもありますが、射精障害が起こるとなると自然妊娠が出来ないという事実を突きつけられ、男性としてのアイデンティティを失ったような気がしました。

  それをどう乗り越えましたか?
A ブログのメッセージ

ブログで似たようなことを経験した人(の奥さん)にメッセージを送りどうだったか聞きました。すると3ヶ月ほどで治ることもあること、最長で1年半で治るといったケースがあることを知りました。だから、まだ希望はある!ということを自分に言い聞かせることで立ち直りました。

反省

Q あの時こうしとければよかったということはありますか?
A もう一回、後腹膜リンパ節郭清を受けるなら京都府立医科大学附属病院へ行く。

後腹膜リンパ節郭清で射精神経を残したかったらその症例数が多い、京都府立医科大学附属病院へ行っとけばよかったかな……と思うことも? 実際あるイベントで会ったらそこの先生は素晴らしい方達でした。
※今の病院も素晴らしいと思いますので勘違いなきよう。

キャンサーギフト

 がんになってどうおもいますか?
A 総じて良かったな!と思います。
※そう思わないとやっていけません。(笑)

 
  あなたの場合のキャンサーギフトは何ですか?
A がんのお陰で様々な人に巡り会えたことです。

この病気がきっかけで素晴らしい人達に出会えました。医療政策の政府の方々、医療従事者、NPO活動されている方……この人達が頑張っているのを目の当たりにして、自分もできる事をしようと思いました。そして、いつ死ぬかわからないから、人の目を気にしないで自分のやりたいように生きようというマインドを持つことが出来ました。

言葉

 闘病中言われて嬉しかった言葉は何ですか?
A 「THINK BIG」

大きく考えろ。この経験は今後の糧になる。まだ25歳でがんになって人生の折り返し地点にも行っていない。だからもっと大きく考えてこれからのこともかんがえようと思いました。

今、治療を頑張っているがんサバイバーへ。

 1言お願い致します!
A 人生を面白くいきましょー!

がんになったからといって、全てが出来なくなったわけではない。できる事もたくさんあるはず。いっぱい面白いことを考えて乗り切っていけたら嬉しいです。 

(おまけ)オススメ情報

  これは伝えておきたいという情報は何ですか?
A おすすめの本

アステラス製薬さんが出版している、「病気が教えてくれたこと」という本を読んで闘病の励みにしていました。また、入院している時は、メッセージノートを作って来てくれたひとからメッセージをもらうことも励みになりますよ! 

ここで記載されている文章は全て先輩のがん患者の経験に基づくものです。そのため全てが正しいとは限りません。闘病時期も人それぞれですので、あくまで先輩の一例であるという前提のもと読み進めて下さい。
最新の情報や治療法などに関しては必ず主治医と相談してご判断下さるようお願いいたします。

もし共感や励ましなどあればFacebookやTwitterなどいいね!やSNSでシェアしていただけますと嬉しいです。

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