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子宮頸がん経験者 阿南里恵さん

インタビュー日: 2015年3月7日


子宮頸がん経験者 阿南里恵さん

病気のこと

 

【がん種】子宮頸がん
【ステージ】Ⅱb
【時期】2004年(23歳)

発覚まで

Q どうやってわかったのですか?
A 会社の健康診断で子宮頸がん検診を受けていたのですが、その半年後に出血があり病院に行ったら子宮頸がんが見つかりました。

Q 宣告を受け、どう思いましたか?
A 当時、子宮頸がんというものがまだメジャーではなかったので知識が無く、子宮頸がんの意味がよく分かりませんでした。すぐに両親を呼びました。

Q まず始めにやったことは何ですか?
A 子宮頸がんについて情報を探しました。当時、まだ間違った情報もたくさんあり、ごちゃごちゃしていました。anan3

治療のこと

Q 治療はどんなことをしましたか?(外科的手術・抗がん剤・放射線など)
A 抗がん剤でがんを小さくしてから、子宮全摘出の手術をしました。その後、放射線治療をしました。

家族のこと

Q 家族との関係性はどうでしたか?
A お母さんが一番大きな支えでした。

それまでは仲が悪く逃げ出すように上京し、口も利かず、電話がかかって来ても出ないという状況だったのですが、がんになったときに一番最初に連絡したのが母親でした。それからお母さんとの心の絆がすごく強くなっていきました。手術の前に怖くなって逃げ出したときに、お母さんに「とにかく帰るからひとりにして」というメールを送ったところ、「子宮を失うどうこうではなく、とにかく生きなさい。子どもが産めなくなってもそれはそれで生きていく道があると思います。」という長いメールが来ました。それで覚悟が決まりました。

仕事・学校のこと

Q 仕事はどうしましたか?
A 当時、ベンチャーの不動産会社に転職して営業をしていました。転職後、1か月で出血が始まりました。治療が終われば戻れると思っていましたが、治療が終わってみると営業ができるような体力がありませんでした。それに、髪の毛が無くなっていたこともあり営業には戻れませんでした。

事務職に移る提案もありましたが、がんになる直前に輝いていた時期の自分が、体力が無くなり、髪の毛が無くなり、事務職になるということをその職場で見せることがどうしてもできず、辞めてしまいました。会社は待っていてくれたのですが、戻れませんでした。

Q その後はどうしましたか?
A アルバイトでは東京ではやっていけず、大阪の実家に戻り、週3日のアルバイトを始めて徐々に増やしながら働いていました。1年後、もう一度東京で働きたかったので正社員の試験を受けました。

Q 体力的にはどうでしたか?
A 1年で普通に生活するくらいには戻っていましたが、足がむくむなどの後遺症はつらかったです。後遺症のことやがん治療のことは採用試験で言っていなかったので、忙しくなったときに後遺症で足がむくんで高熱が出ていました。

上司に言ったところ、残業も休日出勤もしなくていいと言ってもらいましたが、事情を理解してもらうために社員全員にがんのこと、後遺症の事を伝えました。それでも忙しい時期に他の人と同じように無理をすると突然熱が出るので、一部の人から、みんなが忙しくなってきた時期にいつも休むという声があるということを聞き、自分の居場所を感じられなくなり、辞めてしまいました。その繰り返しでした。anan2

お金・保険のこと

Q お金で苦労したことはありますか?
A 就労に苦労したのでお金にも苦労していました。

Q 保険は出ましたか?何に使いましたか?
A 保険に入っていました。保険に入って半年後にがんが見つかりました。

一時金が出ましたが、東京への移動や引っ越しに使ってしまいました。今思えば違うことのために残しておくべきだったと思います。あとの治療費については親が負担してくれていたと思います。

後遺症のこと

Q 後遺症について教えてください。
A 妊孕性の問題があります。

妊孕性とは、妊娠・出産能力のことですが、がん生殖医療では、妊娠・出産能力の温存だけでなく、ホルモンバランスを維持してQOLを維持するという2つの目的があります。子宮頚がんであれば子宮を摘出してしまう、卵巣がんであれば卵巣を摘出してしまうので、絶対的な不妊と位置付けられます。それ以外でも、乳がんや白血病の治療によって卵巣の機能が無くなってしまうことがあることが分かってきています。卵巣・卵子・精子を凍結保存しておいて治療が終わった時に、あるいは子供が欲しいときに戻ことを妊孕性の温存といいます。

Q 阿南さんの場合はどうですか?
A 私は卵巣は残して子宮だけ取っています。

放射線治療で卵巣に放射線が当たらないようにするため、子宮全摘出の手術のときに、卵巣の位置を吊り上げています。

Q 卵子の保存をされているのですか?
A まだできていません。

卵巣を残していても、抗がん剤の影響なのか、放射線が少し当たったのか、まだ原因は特定されていないのですが、多くの人が早発閉経になります。その数値を測ったところ、私ももうすぐ、おそらくあと2年か3年で閉経することが分かっています。それが分かった時に卵子を凍結したかったのですが、私は子宮をとってしまっているので、その卵子を使うには代理出産が必要になります。今、国内では代理出産が認められていないので、産婦人科学会では子宮が無い人の卵子をとることは倫理的に許されないとされています。そのため、日本ではできません。今、このような国内の患者さんに限定で代理出産を認めようという法案が検討されていて、それを待っている状態です。

Q ではあと2年の間にぜひ法案が通って、という感じですね?
A でも実は、それほど自分の遺伝子を残すということにあまりこだわっていません。選択肢があるのなら残しておきたいけれど、養子縁組のほうを前向きに考えています。

Q 養子縁組について調べたりされたのですか?
A 23歳のときに電話して聞きました。「健康」という条件がありました。(笑)完全にアウトだなと。その時打ちのめされました。

地域によっても条件に差があるようです。当時、大阪は厳しいと言われました。結婚して何年とか、収入などの条件があるようです。

恋愛や結婚・配偶者のこと

Q 子宮摘出後、恋愛はどうですか?
A 恋愛は普通にできないです!どのタイミングで子どもを産めないことを伝えたらいいのかが分かりません。

いい感じになったところで言うのが卑怯な気がして。子どもが産めないというつらい、さみしい思いを、結婚したいほど大好きな人にもさせてしまうのかなと考えるほど難しいです。あとは、相手の親に反対されたらどうしようということもあります。

Q 子宮摘出した後にお付き合いされた方はいらっしゃったのですか?
A いました。その時は、最初から言っていました。でも、結局その人に結婚願望がありませんでした。

Q 阿南さんは、そこから立ち直ったのですか?
A 立ち直りましたが、まだ結婚できていないですからね。今狙っているのは、バツ一の子持ちです。(笑)anan4

Q 子宮頸がんで子宮摘出された方は、夜の営みはできるんですか?
A できる人もいれば、できない人もいます。膣のほうまで浸潤していて切っている場合、性交渉が難しい人もいます。

辛かったこと&その克服法

Q がんになって肉体的に辛かったことは何ですか?
A 後遺症の影響さえなければ、仕事に普通に戻れたのにと思います。

Q どう乗り越えましたか?
A 3年前から日本対がん協会で働くようになり、体調を優先した勤務ができるようになりました。それにより後遺症が出る回数が減りました。今も忙しくなれば後遺症が出るので、自分で一生コントロールしていかなければいけません。

そういう体になったということを受け入れるのに時間がかかりました。私はこんなんじゃない、もっとやれるのにと思うのに、体がついてこないことがショックでした。

Q 精神的につらかったとき、どう乗り越えましたか?
A 手術の時のお母さんとのやりとりもそうですが、家族の存在が大きかったです。

抗がん剤で髪の毛が抜けた後は誰にも会わず、接するのがしばらく家族だけだった時期もありました。お母さんがウィッグを買ってきてくれて家族以外の人と会えるようになりました。

医療従事者へ

Q 感謝や要望はありますか?
A 妊孕性の重要性をまず医師に理解してほしいです。

命を救うことばかりが優先されてしまい、残せるはずの妊孕性を失っていっている患者さんがいるというのが現状です。生きていくことができたときに、妊娠・出産できるかどうかということは、その人にとって重い問題なので、ぜひ治療前に何か方法があるのであれば伝えてあげて欲しいと思います。

反省 失敗

Q あの時こうしておけばよかったと思うこと、失敗したこと、反省していることはありますか?
A 10年経ちますが、今は全部が必要な経験だったと思っています。

つらかったことや失敗したことも、全部必要だったなと思います。だから次の患者さんのためにできること、分かることがあるなという気がしています。

キャンサーギフト

Q あなたの場合のキャンサーギフトは何ですか?
A 価値観が変わったことです。

がんになる前ベンチャー企業で働いていた頃は、どちらかというとお金とか見た目とか地位が重要なことだと思っていました。それが、例えばお金を払って、子宮摘出をやめてください、と言ってもできないし、がんを無かったことにしてください、と言ってもできないわけです。本当にどうしようもないときに救ってくれるのは人なんだ、ということに気付けたことがすごく大きかったです。あのままもしがんになっていなかったら、ろくでもない人になっていたんじゃないかと思うくらいです。anan1

今、治療を頑張っているがんサバイバーへ。

Q メッセージをお願いします!
A 「現実的にあきらめなくてはならない事はあっても、人生はあきらめないで!」

20代はあきらめることだらけでした。仕事も、恋愛も、おしゃれも。そうなった時に、5年~6年間くらい、人生をあきらめていました。一体何で生きているのか分からないし、一体この人生がいつまで続くんだろうと思っている時、自分を大事にできませんでした。
あきらめなければいけないことはたくさんあっても、人生は自分で変えられるんだ、というメッセージです!anan5

オススメ情報

Q 何かオススメ情報ありますか??
A 本を出しました。「神様に生かされた理由: 23歳で子宮頸がんを宣告されて。」

このタイトルは、多くの人がプラスの意味にとると思うのですがそうではなく、私は何で生きなきゃいけないんだろうと思っていた時期がすごく長くて、神様に無理やり生かされたという意味で、あえて皮肉っぽくつけました。読んでもらえばわかるのですが、私はがんになる前よりも今のほうが何十倍も幸せだと思っていて、その秘密が書かれています。

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